アラスカからベーリング海へと長く伸びるアリューシャン列島の中ほどに「ラット島」がある。1827年にロシアの探検家フョードル・リトケがつけた正式名称だ。
この島のアイデンティティーを決めたネズミは、1780年ごろ、日本の船舶が座礁して上陸したイエネズミだった。小さな10の火山島が集まる場に位置するラット島に侵入した外来種は、ネズミだけではなかった。1820年には毛皮を得る目的で、業者が北極ギツネ200つがいをこれらの島に導入した。
大洋に浮かぶ島は外来種に特に脆弱だ。陸地とつながったことがないため種の数が少なく、資源が豊富でないため食物連鎖も単純だ。そもそも哺乳類である天敵に対する防御手段を持たない動物も多い。
ラット島は、外来種の侵入が海鳥を含めた土着の野生動物にどのような打撃を与えたのか、また侵入種の駆除の努力がいかなる結果を生むのかを示す代表的な例だ。アリューシャン列島が自然保護区域に指定された後、北極ギツネは1984年にラット島から駆除された。続いて大規模なネズミ駆除作業の末、2010年には侵入230年目にして「ネズミのいない島」が公式に宣言された。
この間、ラット島では、どのようなことが起きていたのだろうか。ネズミ駆除作業が始まる前後にかけて生態調査を続けてきた米カリフォルニア大学サンディエゴ校のキャロライン・クーレ教授らは、科学ジャーナル「サイエンティフィック・リポーツ」最新号に掲載された論文で、「ネズミがいなくなってわずか10年あまりで、生態系が全面的に回復した」と明らかにした。
アラスカ魚類野生生物局などは2008年に、9日間にわたって汝矣島(ヨイド)の面積の3倍の2900ヘクタールのラット島全域に、ヘリコプターでネズミ駆除剤の入った餌51トンを散布した。
島から外来種を駆除する史上最大規模の作戦は成功した。保護種のハクトウワシ43羽を含む422羽の鳥が駆除剤中毒で死ぬなどの副作用も生じたが、ネズミも姿を消した。
この島で最高450グラムにまで育っていたネズミは、鳥の卵やヒナはもちろん、親鳥も攻撃していた。地中に穴を掘って繁殖する海鳥は特に脆弱で、島から消えた。
ネズミのいない近くのブルディア島には1万羽のウミスズメが住んでいるが、ラット島にいるのは125羽に過ぎなかった。ブルディア島は数万羽のウトウが壮観だが、ラット島には1羽もいなかった。
研究者たちによると、ネズミを駆除した直後から鳥は増えたものの、潮間帯の岩場などでの生態系の回復は明確ではなかった。しかし11年後の調査では、回復傾向が明らかになったと語る。クーレ教授は「調査に際しては、生態系の回復がこれほど早いとは全く予想できなかった」と同大学の報道資料で語った。
ネズミが侵入して最上位の捕食者だった鳥にとって代わったことで、生態系は根本的に変わってしまった。ワシカモメやミヤコドリなどの海鳥は、潮間帯の岩場で巻き貝やウノアシガイなどの無脊椎動物を主に捕食していた。
しかし鳥がいなくなると無脊椎動物が潮間帯を覆って海藻類を食べ尽くし、この島の生態系の基盤を成していた海藻の森が衰退。だがネズミを駆除したことで鳥が帰ってくると、海藻類を食べる無脊椎動物が減り、海藻の森が再び繁茂するようになった。
クーレ教授は「現在のラット島の生態系の構造は、ネズミが侵入していない島と似たものとなっている」と述べた。ラット島は現在、先住民アレウトの呼んでいた「ハワダックス島」という名が正式な島名となっている。
引用論文:Scientific Reports, DOI:10.1038s41598-021-84342-2