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「北朝鮮への原発建設支援疑惑」が偽りの争点である3つの理由

登録:2021-02-01 06:32 修正:2021-02-01 07:39
「朝米枠組み合意」に基づき、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が北朝鮮咸鏡南道新浦地区に建設した韓国型軽水炉核発電所の原子炉基礎コンクリート打設工事(2002年8月7日)の様子=KEDOホームページよりキャップチャー//ハンギョレ新聞社

 韓国政界で話題が沸騰しているいわゆる「北朝鮮への原発建設支援疑惑」は、典型的な“偽りの争点”だ。

 3つの理由が挙げられる。一つ目に北朝鮮への軽水炉(型原発)建設支援事業は米国を含む国際社会が長きにわたり「北朝鮮の非核化」補償策の一つとして提示してきたものだった。二つ目に、北朝鮮に原子力発電所を建設する事業は、南北当局レベルの協力事業として公式に提起されたり、協議されたことがない。三つ目に、何よりも米国と国連の強力な対北朝鮮制裁が緩和されるか解除されない限り、北朝鮮への原発建設支援は夢想に過ぎず、不可能なプロジェクトだ。

1994年の「朝米枠組み合意書」に明示された原発計画

 まず「北朝鮮への軽水炉建設事業」は秘密プロジェクトではない。長い歴史を持つ公のプロジェクトだ。「北朝鮮が非核化の約束を実践すれば軽水炉を建設する」というのは国際社会の公式な約束だ。言葉だけではない。北朝鮮咸鏡南道新浦(シンポ)に「韓国型軽水炉」を搭載した原子力発電所建設工事を実際に行った。1994年10月21日に合意・発表された北朝鮮と米国の「枠組み合意意」がその根拠だ。同合意の第1条1項は「アメリカ合衆国は1994年10月20日付のアメリカ合衆国大統領からの担保書簡により、2003年まで計200万キロワットの発電能力の軽水炉発電所を朝鮮民主主義人民共和国に提供するための措置に責任を持って取り組む」と明示している。これにより米国、韓国、日本、欧州連合(EU)などが理事国として参加した「朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)」が構成され、北朝鮮の新浦に「韓国型軽水炉」を搭載した100万キロワット級の原子力発電所2基を建設する建設工事が、北朝鮮への原発建設疑惑を持ち上げた「国民の力」の前身である民主自由党が政権与党だった金泳三(キム・ヨンサム)政権時代に始まった。軽水炉を「韓国型」にする条件で、建設費用の70%は韓国が捻出することにした。「新浦軽水炉」は2002年8月7日、基礎コンクリート打設工事をしたが、同年10月以後、いわゆる「第2次北朝鮮核危機」の勃発とともに建設工事が中断された。

朝鮮半島非核化の青写真と呼ばれる2005年の6カ国協議共同声明の合意と採択の主役であるソン・ミンスン当時6カ国協議韓国首席代表(右から二番目)と北朝鮮のキム・ゲグァン団長(左から二番目)、米国のクリストファー・ヒル首席代表(左から一番目)が会話している/聯合ニュース資料写真

2005年の6カ国協議共同声明で、核エネルギーの平和利用に関する北朝鮮の権利認める

 「軽水炉建設事業」は2000年代半ば、6カ国協議を経て再び進められた。2005年9月19日の6カ国協議で合意・発表された共同声明は第1条で「朝鮮民主主義人民共和国は核エネルギーの平和的利用に関する権利を持っていると宣言した。その他の当事国はこれに対する尊重を示し、適切な時期に朝鮮民主主義人民共和国への軽水炉提供問題について協議することで同意した」と明示した。なお、第3条では「中華人民共和国、日本、大韓民国、ロシア連邦及びアメリカ合衆国は、朝鮮民主主義人民共和国に対してエネルギー支援を提供する用意を表明した。大韓民国は朝鮮民主主義人民共和国に対する200万キロワットの電力供給に関する2005年7月12日付けの提案を再確認した」と明記した。「200万キロワットの対北朝鮮送電」は、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権が6カ国協議非核化合意の呼び水として2005年に提案した内容を再確認したものだが、2008年12月以降、6カ国協議の長期空転に伴い、実行に移されていない。

 北朝鮮と米国、または北朝鮮と国際社会の「非核化」関連合意に「軽水炉」または「エネルギー支援」が欠かさず登場するのは、北朝鮮がこの交渉を安全保障とともにエネルギー問題解消のテコとして活用してきた歴史と無関係ではない。そもそも北朝鮮への軽水炉建設支援の約束は、1985年12月、ゴルバチョフ政権のソ連が北朝鮮の相次ぐ要請を受け入れ、軽水炉4基を新浦に建設すると約束したことから始まった(もちろん、北朝鮮の核拡散禁止条約(NPT)への加盟が前提条件となった)。ゴルバチョフ書記長のこの約束はソ連連邦の解体によって実行に移されず、1990年代初めのいわゆる「第1次北朝鮮核危機」を経て、1994年朝米枠組み合意で「米国政府の軽水炉建設支援の約束」として復活した。軽水炉の建設地域として再三名指しされた新浦は、韓国人にとっては「北清(プクチョン)獅子舞」または「北清水売り」で有名なその北清の新しい行政区域名だ。

 遠くは1985年、短くは1994年から続いた「北朝鮮への軽水炉建設支援プロジェクト」は2019年2月、ハノイの朝米首脳会談決裂以降中止された核交渉が再開されれば、再び北朝鮮の意味ある非核化実践を導く“補償策”として論議される可能性が非常に高い。

 このように「北朝鮮への軽水炉建設支援」案は1990年代以降、韓国と米国を含む北東アジア当事国とEUの「北朝鮮の非核化補償策」として多国間プロジェクトで検討され進められただけでなく、実行されてきたが、南北当局レベルの協力事業としては協議されたことがない。歴代の韓国政府は、1982年2月1日、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権のソン・ジェシク国土統一院長官が「20の南北協力モデル実践事業」を提案して以来、これまで道路や鉄道の連結、自然資源の共同開発などは論議・実践したが、原子力発電所建設は両者レベルで取り上げたことがない。こうした歴史は、「非核化」問題が決定的なヤマ場を越えない限り、変わらないだろう。

米国の協力なしには事実上不可能な北朝鮮への原発建設支援

 何よりも今は、米国と国連の強力な対北朝鮮制裁が、北朝鮮との協力事業を徹底的に遮断している。新型コロナウイルスを含む感染病の予防と妊婦・乳幼児栄養支援など国際社会の対北朝鮮人道支援事業さえも、国連安全保障理事会傘下の北朝鮮制裁委員会(1718委員会)の「制裁免除」などの承認を受けなければならない。

 技術的側面から見ても、1994年の朝米ジュネーブ基本合意に基づき建設事業がしばらく進められた「韓国型軽水炉」も、その基本技術は米国が持っており、たとえ北朝鮮への制裁が緩和・解除されても米国の同意と協力なしには韓国政府が単独で進められる事案ではない。

 このような状況にもかかわらず、「韓国政府が軽水炉建設事業を秘密裏に推進する」というのは実体のない荒唐無稽な主張だ。「核武装した北朝鮮に核発電所を?衝撃的な北朝鮮原発ゲート」という野党「国民の力」の認識と主張に対し、笑うべきなのか泣くべきなのか分からないほどだ。

イ・ジェフン先任記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/981144.html韓国語原文入力:2021-0121:13
訳H.J

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