1974年8月30日、日本の東京にある三菱重工業本社で爆弾が爆発した。8人が亡くなり376人が負傷したこの事件により、日本社会は強い衝撃を受けた。1カ月後、「東アジア反日武装戦線」という団体が声明文を出した。「三菱は、旧植民地主義時代から現在に至るまで、一貫として日帝中枢として機能し、商売の仮面の陰で死肉をくらう企業だ」。戦後の日本で初めて植民地責任を強く追及し武装闘争に乗り出した彼らは、ほかでもない日本人だった。
以後、彼らは翌年5月まで、三井物産や大成建設など日本の戦犯企業8社で次々と爆弾を爆破させた。幸いにも死傷者はそれ以上は出なかった。彼らの目的は、人命殺傷ではなく、警戒心を呼び起こすことだった。この事件で大道寺将司など8人が逮捕され、投獄された。彼らは大学中退者や会社員など平凡な社会の構成員だった。2020年現在、死亡したり釈放された者を除き、まだ2人が監獄に残っているが、日本社会はあえて無視している。韓国でもこの事件を知る者は多くない。
これを取りあげたドキュメンタリー映画『東アジア反日武装戦線』が20日に封切られる。2005年に今年の独立映画賞を受賞した『土方』、大型マートの労働者のストライキ闘争を取りあげた『外泊』などで労働問題を粘り強く扱ってきたキム・ミレ監督の新作だ。キム監督は最近、ハンギョレとのインタビューで「2000年代初期、日本の“土方”の運動家を取材し、東アジア反日武装戦線に関する話を聞いたが、当時は(映画にしようという)考えすら及ばなかった」とし、「2014年に労働運動が力を失い、セウォル号惨事まで発生し、無力感と敗北感が深まっていたとき、これを克服しようと埋もれていたこの事件を再び掘り起こし始めた」と語った。
キム監督は獄中にいる当事者に接触する一方、監獄の外で彼らを支援する人々に会った。事件当時、彼らを凶悪なテロ犯として追い込む雰囲気の中でも、一部の市民は彼らが極端な行動にまで出なければならなかったその趣旨に共感し、集まってきた。支援活動を行った太田昌国氏は、試写会直後の記者たちとのネットインタビューで「日本帝国主義は、戦後も清算されないまま、経済的植民地主義の形で現れた」とし、「これに対する問題提起は、戦犯企業が多国籍企業の形で世界の様々な国に進出した今この時代でも変わらず有効だ」と語った。さらに「今、韓日関係は良くないが、草の根の民衆同士が話し合い連帯しようとする試みを続けなければならない」と力を込めて語った。
映画制作の過程でキム監督は「加害者性」を反芻するようになったと語った。彼女は「自分が加害者であることを認めるのは苦しいことだが、それにも関わらず、彼らは自覚し社会に警鐘を鳴らした」とし、「私たちもまた、他の誰かに対する加害者になっているのではないか、それならば、私たちはどう自覚し行動しなければならないのかを悩むようになった」と述べた。
この映画を機に、私たちの日常の加害者性を十分に考えてみなければならないという声も出ている。映画制作に参加した独立研究活動家のシム・アジョン氏は「例えば、私たちが早朝に新鮮な野菜を宅配便で受け取り、地下鉄で通勤する日常生活の裏面には、激務に苦しむ宅配配達員と地下鉄労働者の犠牲が敷かれているという事実を忘れてはならない」とし、「私たちの労働市場にはびこる『下請の下請の下請』構造が、他国を収奪する帝国の構造と違わないという事実を悟り、これを解消するために努力しなければならない」と強調した。