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「全斗煥保安司令官最側近、5・18裏工作に直接介入」示唆する文書が公開

登録:2020-05-18 06:28 修正:2020-05-18 09:25
キム・ギソク元戦教司副司令官の1980年5月のメモ 
全羅南道庁の武器回収作戦など、詳細に記載 
チェ室長、住民登録証3枚を偽造し、道庁作戦に利用
中列右から5人目がチェ・イェソプ准将。下列の左から5人目が全斗煥保安司令官=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 5・18光州(クァンジュ)民主化運動当時、最高権力者だった全斗煥(チョン・ドゥファン)保安司令官の最側近、チェ・イェソプ保安司令部企画調整室長が光州での作戦企画に直接介入した状況証拠となる文書が公開された。保安司令部が全南道庁内の爆薬の雷管を除去する“裏工作”のため、住民登録証の偽造まで依頼したという疑惑も持ち上がっている。爆薬の雷管の除去が実際に行われており、これは最後の光州進入作戦のための事前作業と見られることから、当時の新軍部の鎮圧過程の究明に貢献できる資料だ。

 ハンギョレが17日に入手したキム・ギソク戦闘兵科教育司令部(戦教司)副司令官の「収拾対策委委員接触事項」と書かれたメモには、1980年5月24日の会議出席者として「GEN、choi(ASC)」と記されている。ASCは陸軍保安司令部を、GENは将軍(General)を意味する。英文のchoiはチェ・イェソプ保安司企画調整室長(1929-2019)を意味する可能性が高い。

キム・ギソク戦闘兵科教育司令部副司令官が書いた「収拾対策委員会委員接触事項」と書かれたメモ//ハンギョレ新聞社

 1980年5月18日に光州に来た保安司令部の将軍はチェ・イェソプ企画調整室長(准将)だけだ。全斗煥保安司令官は12・12および5・18検察捜査(1995年)で、「5月19日、チェ企画室長が『光州の報告がうまく行っていない。直接行って、確かめてから報告する』と自ら光州行きを申し出た」と供述した。チェ企画室長は505保安隊分室と戦教司事務室の2カ所を「保安司令部光州分室」として使用した。チェ企画室長は、ホン・ソンリュル1軍団保安部隊長やチェ・ギョンジョ保安司令部大領(大佐にあたる、光州全南合同捜査本部長)と共に、5・18の「作戦指針」を立てた3人のリーダー格だった。

 キム・ギソク戦教司副司令官のメモは、当時保安司が市民軍の拠点だった全南道庁の動向を注視しながら、“裏工作”を行った可能性を示唆している。5月24日分のメモには「17~20時、武器管理学生A、B、C、Dと接触」と書かれており、数人の大学生から情報提供を受けたことを暗示している。5月24日は、戒厳軍が光州市郊外に撤収し、武装した市民軍に武器返還を促す一方、尚武忠正作戦(鎮圧作戦)を立てていた時期だ。戒厳軍が光州鎮圧作戦を立てた5月25日のメモには「A学生から作戦完了。雷管は別途麻袋に入れて分離保存」という報告内容も書かれている。実際、当時道庁の地下の軍武器庫に市民軍が保管した爆薬雷管2288個や手榴弾信管279発、催涙弾170発、ダイナマイト2100個の雷管などは、誰かによって除去された状態だった。武器回収に反対した“強硬派”はこうした事実を知らなかった。雷管が除去された直後の5月25日、全斗煥新軍部は鎮圧作戦の開始時点を「5月27日0時1分以降」に決めた。工作成功後、最後の鎮圧作戦を実施したという解釈が可能な部分だ。

1980年5・18鎮圧作戦後、全南道庁前のチョン・ホヨン特戦司令官=5・18記録館提供//ハンギョレ新聞社

 このメモと関連して、チェ企画室長が鎮圧作戦の前に、全羅南道庁に誰かを潜入させようとしたというソ・ウィナム光州505保安隊中領(中佐)の供述も、このような情況を裏づけている。ソ中領は1995年の検察調査で「チェ・イェソプ大領(准将を間違えたとみられる)に道庁に偽装侵入する計画だと言われ、偽物の住民登録証3枚を作った」と供述した。ソ中領は「当時、道庁に銃器類や爆薬などが多くあって危険だったため、銃器の撃針などを除去するために道庁に入ったものと見られる」と述べた。

ソ・ウィナム光州505保安部隊中領の供述//ハンギョレ新聞社

 5・18研究者のチョン・スマン元5・18遺族会長は「チェ・イェソプ企画室長らソウルから来た保安司令部の人たちが大枠の方向を設定し、事実上鎮圧作戦などを裏で企画した。キム・ギソク副司令官のメモは、全斗煥保安司令官がチェ企画室長ら保安司令部3人組を通じて5・18を事実上コントロールしたという繋がりを示す重要な文書だ」と述べた。

チョン・デハ、キム・ヨンヒ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/945323.html韓国語原文入力:2020-05-1804:59
訳H.J

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