イ・ジャスミン。忘れられていたその名前が再び人々の口に上っています。1日にセヌリ党の比例代表だったイ・ジャスミン前議員が自由韓国党を出て正義党に入党したというニュースが伝えられたためです。彼女は最初で唯一の「移住民代表国会議員」として、保守・革新オンラインコミュニティの双方から排斥され、類を見ない「魔女狩り」に苦しみました。過酷な差別を受けたイ前議員は、なぜ再び汝矣島(ヨイド)に戻ってきたのでしょうか。その過程を探ったハンギョレ政治チームのイ・ジヘです。
まず、シム・サンジョン正義党代表の強い誘いがありました。昨年から正義党はキム・ジョンデ議員を通してイ前議員とのパイプを作ってきました。先月にはシム代表が数回に渡ってイ前議員に会って深く話し合い、入党を説得しました。獲得過程を見守った正義党の幹部は「政治がどれほど厳しいかをよく知る人が政治に戻るというのは、それも党を移って戻るというのは、並大抵の決心ではない。イ前議員も長いあいだ悩み抜いた末に決めた」と説明しました。
イ前議員が復帰を決意した理由を周辺の人々に問うと、ほとんどの人が「使命感」という言葉を口にしました。デマに苦しめられた時も、イ前議員は移住民を代表するという責任感から力を振り絞ってきた人だということです。彼女を第19代国会の時から見守ってきたある補佐官は「イ前議員は『あなたでなければ誰が闘うのか』という言葉を無視できる人ではない』と言います。イ前議員がバッジを再びつけるために党籍を移したという批判もありますが、このような移籍過程を聞くと、そのように解釈される余地は少ないように見えます。実際に正義党への入党提案を受けるまで、イ前議員は出馬を目標にしたいかなる活動もしていませんでした。
11日に正式入党記者会見を控えるイ前議員はマスコミと一切接触していません。2回目の挑戦に臨む慎重さが感じられます。第19代議員として活動していたときに経験した困難を考えると理解できます。2014年にイ前議員は、未登録移住児童の基本権確立に向けて「移住児童権利保障基本法案」を発議し、右翼団体の攻撃を受けましたが、セヌリ党(現自由韓国党)の“保護”は受けられませんでした。ある移住民の人権運動家は、「どうせ本会議での可決も見込めない多文化政策だと思ったのか、セヌリ党はイ前議員を助けることも妨害することもなかった。ある意味では無関心だった」と振り返ります。
当時イ前議員とともに常任委活動をした議員たちは、彼女の「常に孤軍奮闘する姿」を記憶しています。「周りに彼女を過小評価しようとする者が多かった」という証言もあります。監査を受ける立場の機関の公務員はイ前議員の能力を疑って、語尾に必ず「理解なさいましたか」と尋ねたという話もあります。イ前議員は2013年に全国270あまりの市民社会団体が選定した憲政大賞を受賞するほど能力のある国会議員だったのにです。虚偽に基づいた世間の攻撃も激しかったのですが、政官界内部の”敷居”も高かったのです。
2012年にイ前議員が政治に入門した過程を振り返ってみると、韓国の少数者政治の現実が余すところなく現われます。彼女は2008年から韓国女性政治研究所の「移住女性政治家養成」プロジェクトを通じて、各政党に比例代表候補者になるための履歴書を提出してきましたが、当時、回答したのはセヌリ党だけでした。他の党は「時期尚早」として断ったと伝えられます。セヌリ党はイ前議員に与えられた唯一のカードだったのですが、普段移住民問題に関心がない政党なので、イ前議員の公認に対する批判は少なくありませんでした。既成保守政党が移住女性を「イメージ刷新のためのカード」として利用しているというのです。
正義党に党籍を置いて戻ってきた今回も、「既成政治のアクセサリー」に終わるかもしれないという憂慮まじりの視線も向けられています。本当にそうでしょうか。4日にシム・サンジョン代表は「正義党は社会的弱者を代弁する政党として、排除された社会的弱者にマイクと演壇を提供することを最優先としている」とし、「これまで未組織非正規労働者、障害者、青少年、性的マイノリティー、移住民などを代表する当事者を迎えることに注力してきた」と説明しました。これまでに正義党が「ナッツリターン」事件の被害者である大韓航空労組のパク・チャンジン支部長、発達障害の妹を持つ映画監督のチャン・ヘヨン氏、同性配偶者と結婚した映画監督のキム・チョ・グァンス氏などを迎えたのも同じ脈絡です。
正義党は党員投票により国会議員候補の公認をします。ですから、イ前議員の今後の計画を簡単に予想することはできません。出馬しようがしまいが、イ前議員が「保守政党の総選挙用カード」というレッテルをはがし、政治活動第2幕をいかに開けるか、注目されます。