本文に移動

韓国の子どもたちの早期留学変遷史…“キロギアッパ”からリターニーまで

登録:2019-09-04 10:18 修正:2019-09-04 14:36
大峙洞進学塾街のリターニーたちの「夏休み残酷史」
年度別 留学生統計現況//ハンギョレ新聞社

 早期留学ブームは、IMF救済金融危機から脱した2000年代初めに本格的に始まった。韓国教育開発院が発表した国外韓国人留学生の統計によると、2000年から数字が急激に増加している。小学生の場合、2000年の705人から2006年には1万3814人まで上昇した。「キロギアッパ(雁パパ)」 という新造語が登場したのもその頃だ。国立国語院は『2002年新語報告書』で「キロギアッパ」を新造語として紹介し、「子どもを外国で勉強させるため妻と子どもを外国に送り一人で国内に残って生活する夫を喩えた言葉」と位置づけた。

 当時、早期留学の主な目的は英語だった。子どもが幼い頃から英語圏の国で生活すれば英語を母国語のように使えると考え、我も我も準備を始めた。2007年の統計によると、早期留学に行った小学生1万2341人のうち、米国に渡った生徒が2801人で最も多かった。東南アジア諸国全体を合わせた2795人よりも多かった。その次に早期留学生が多く渡った国はカナダ(2482人)だった。英語圏国家の割合がはるかに高かったということだ。

韓国国際学校の生徒の現況//ハンギョレ新聞社

 このような形の早期留学は、2006~2007年に頂点に達した。2006年の1年間だけでも2万9511人の小中高生が外国留学を理由に学校を辞めた。移民や親の職場派遣などで韓国を離れた生徒たちは除いた数字だ。2007年には留学・研修収支の赤字の規模が49億8040万ドルを記録した。わずか3年前の2004年の二倍ほどになる数値だ。小学生の「一人留学」や違法な早期留学が問題になったのもこの時期だ。現地では韓国人の早期留学生のためのホームステイが盛んになり、航空会社では一人で飛行機に乗る小学生のための同行サービスを始めもした。

 この時までは早期留学の経験をもとに国外の大学に進学する生徒たちが多かった。小学校や中学校の時に外国へ出てから再び国内で国外大学入試を準備するやり方だった。特に2007年前後に、外国語高等学校が留学クラスの定員を大幅に増やし、一時は入学生のうち約30%が留学クラスに編成されたこともある。

 しかし、2008年の世界金融危機以降は、早期留学に出た後に国内の大学に戻ってくるリターニー(一時帰国生)が増えた。留学派が大きく増えたことで国内で留学派の人気が落ち、米国をはじめ国外就職の門戸も狭くなったためだ。大学が少しずつ募集人員を増やしてきた在外国民のための特別選考が親たちの間で脚光を浴びはじめ、リターンを念頭に置いた戦略的な早期留学が現れはじめたのもこの時期だ。この時からアジア国家の国際学校で3年以上通った後、国内大学に進学するパターンが定着した。2011学年度の主要な大学の在外国民選考の競争率は10~30対1に跳ね上がった。

 リターニーを対象にした私教育市場が大きくなったのも2010年前後だ。この頃、SAT(米国の大学入学資格試験)やAP(大学科目先履修制度)専門塾が大峙洞(テチドン)の進学塾街を中心に盛んになりはじめた。鍾路学院ハヌル教育のイム・ソンホ代表は、「一般人も在外国民選考に目を向けはじめ、このような生徒を対象にした私教育業界の規模も急激に拡大した」と語った。

イ・ジェヨン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/908349.html韓国語原文入力:2019-09-04 07:14
訳C.M

関連記事