朴正煕(パク・チョンヒ)政権時代、スパイとされて数年間無念にも服役させられた「在日同胞学園浸透スパイ団事件」被害者のキム・オジャさん(69)が、再審で無罪を言い渡された。キムさんは現在訴訟が可能な生存被害者のうち、再審を請求して無罪を言い渡された事実上最後の被害者だ。
ソウル高裁刑事2部(裁判長チャ・ムンホ)は22日、キムさんが請求した反共法(共産主義活動を処罰するために制定された法律)違反などの再審宣告公判で、キムさんに無罪を言い渡した。これに先立ち、検察もキムさんに無罪を求刑した。検察と裁判所がいずれもスパイ事件をねつ造した国家機関の違法行為を認めたのだ。
裁判部はこの日、拷問の後遺症で耳がよく聞こえなくなったキムさんのために聴覚補助装置を提供し、座って主文を聞くようにした。続いて「キム氏は令状なしに捜査機関に連行され、相当期間にわたり不法な拘禁をされ、その過程で暴行と脅迫によって精神的、身体的な苦痛を受け、わが裁判所も非常に遺憾に思う。これからこのようなことは二度と起きてはならない」とし、「われわれ(国家)が被告に過酷行為をしたことについては、本当に深く反省しなければならないと判断する」とし、キムさんに「無罪」を言い渡した。
裁判部が主文を読み上げた直後、傍聴席では拍手が鳴り響いた。裁判部は「当時、被告が自白した供述は違法な状態または暴行、脅迫により心理的に不安定な状況で行われた可能性が高いとみられる。有罪の根拠として提出された押収物は、違法な拘禁状態でキムさんが過酷行為を受けながら任意に提出されたものであるため、違法な捜査過程で強制的に得たものとみられる」と、無罪判決の理由を明らかにした。
1975年、キム・ギチュン中央情報部対共捜査局部長は、故国に留学に来た在日同胞たちをスパイに捏造した後、大挙起訴した。この事件は当時キム・ギチュン元部長の「業績」として評価された。キム・オジャ氏は1970年~1975年、北朝鮮の指示を受けソウル大学と釜山大学で国家機密を探知し反国家団体を称賛したという容疑で、裁判に付された。この事件でキムさんは1審で死刑、2審で無期懲役を言い渡され、9年間服役した。
44年ぶりに無罪を言い渡され名誉を回復したキムさんが、再審を請求するまでには数十年の苦悩の時間が必要だった。日本に帰っても捜査機関の惨い拷問によるトラウマに苦しんだキムさんは、韓国で再び訴訟を進めることに大きな負担を感じた。キムさんは「イ・サンヒ弁護士(法務法人チヒャン)などスパイ団被害者訴訟を代理した弁護士の方々の切実さが伝わったと言いましょうか。日本で在日同胞たちが少しずつ無罪を受けたりもして、心が(動きました)。10年前に亡くなった母が一番苦労しました。母と家族にこのニュースを知らせたいです」と思いを述べた。