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[インタビュー]「自分のような国家暴力被害者のために『怪しい家』を建てました」

登録:2019-07-10 11:18 修正:2019-07-10 11:58
済州「スパイ捏造事件」被害者カン・グァンボ氏
軍事独裁時代、2回も「捏造スパイ」被害を受けたカン・グァンボ氏が、最近済州市に建てた「怪しい家」の展示空間を紹介している=ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

 「無実でスパイに仕立てあげられた国家暴力の被害者の話を、人々にちゃんと分かってほしかった。再審を通じてもらった補償金を意味のあるもの使いたいとも思いました。ちょうど再審を献身的に手伝ってくれた市民団体『今ここに』の積極的な支援が力になりました」

 9日、済州市道蓮3街の「怪しい家」で会ったカン・グァンボ氏(79)の話だ。ここは、カン氏の両親が「(息子が)刑務所から出たら横になれる家が必要だ」と思って建てた小さな家「グァンボの家」の上に新しい家を載せた形で造られた、国家暴力被害者たちの記憶空間だ。

1962年に日本に密航し17年後に強制帰国  
中央情報部・警察に連行され、65日間「拘禁」  
85年、保安隊の拷問で「スパイ」とされ獄中生活  
再審闘争から6年、2017年に無罪確定 
賠償金・自宅を寄付し、記憶空間「グァンボの家」 
市民団体「今ここに」なども賛同

6月22日、済州市道蓮3街に開館した「怪しい家ーグァンボの家」は、カン・グァンボ氏の両親が作った小さな平屋の「グァンボの家」に2階を乗せて独特な形に建てられた=ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

 「怪しい家」は、カン氏が無罪判決でもらった賠償金と家を提供し、いくつかの団体と市民の募金が加わって6月に完成した。「今ここに」のピョン・サンチョル事務局長は「済州島の捏造スパイの被害者たちに会って再審申請を手伝った。済州には記念館や博物館は多いが、国家暴力被害者の苦難を伝え、分かち合う場所はなかった。『怪しい家』は国家暴力で人生を奪われた被害者たちが自ら人生を記録し、皆が記憶できるように作った」と話した。

 カン氏は拷問でスパイになった被害者だ。朝鮮戦争後、暮らしが厳しかった1950~70年代、済州の人たちは親戚がいる日本へと渡った。カン氏もその一人だった。「食べていくのがとても大変だった。一晩明けると『誰それは(日本に)行った』という言葉が出回るほど、友達がいなくなった。日本で小学校の同窓会をしたくらいだ」

 カン氏は高校3年生になった1962年5月、伯父がいる日本へ密航した。伯母は4・3抗争の時に教師だった家族2人が警察によって犠牲になったつらい過去を抱えていた。当時は在日コリアンの相当数が在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)と直接・間接的に関連していた。このため、済州にはカン氏のような捏造スパイの被害者が多い。

 カン氏は大阪の伯父の家に住み、手提げかばんの装飾物の製作工場などで働きながら集めたお金を故郷に送った。伯父が総連の活動をしていたが、カン氏は気にしなかった。彼はいつかは故郷に帰ると思い、済州道出身の今の妻(77)と会って1970年に結婚した。2男1女の家庭を築き、ようやく安定していった1979年5月10日、彼は突然不法滞在者として摘発された。従兄弟の助けで自費出国の条件で釈放された彼は、同年7月14日、済州に強制的に帰郷した。

 国家暴力はその時から始まった。済州空港に到着したカン氏を待っていたのは中央情報部の要員だった。殴打に耐えられず供述書を書いた彼は、三日後の同年7月17日に釈放された。しかし、8月末になると、済州警察署が彼を呼び出した。初日は殴打なしで、自述書を書かせては破ることを繰り返した。翌日から悪夢のような日が続いた。ひざまずいた状態で角材を挟み、警察2人が太ももに乗った。数日間寝かせなかったり、手錠をかけて机にくくりつけ拷問を加えたりもした。自述書も繰り返し書き続けさせた。そのあいだに「10・26事態」(朴正煕暗殺事件)が起き、警察の態度が変わった。65日間不法拘束状態で拷問を受けたカン氏は、釈放された後にも3年余り監視を受けた。

 それから6年たった1985年12月、今度は保安隊の職員たちが「ちょっと調査することがある」として再び彼を連れて行った。その日は保安隊の事務所で供述書を書きすぐに出てきたが、1カ月ほどたった翌年1月、朝食をとっていたときに再び保安隊の職員3人が押し入ってきた。今度は地下室に引きずりこまれた。係長という人が「ここは口のきけない奴でも口を開く場所で、生かすも殺すもできる人間屠殺場だ」と脅迫した。

 彼らは取り調べの過程で、棒を使った殴打をはじめ、脱いだ靴でカン氏の顔を殴ったり、唾を吐いたりしたかと思えば、角材をはさんでひざを踏みにじるなど様々な拷問を行った。数日後、午前10時に軍医官が聴診器で診察した後、「以上なし」と言った。すると、彼を椅子に座らせて足首と手首を縛った後、濡れたタオルを足下に敷いて電気を流した。気絶を繰り返した末、気がつくと親指に朱印が付いていた。

カン・グァンボ氏と市民団体「今ここに」が市民ファンディングで募金して完成した「怪しい家」の中にはカン氏が獄中で読んだ本が展示されている=ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

 カン氏は1986年8月18日、国家保安法違反(スパイ)で懲役7年と資格停止7年の刑を言い渡され、光州(クァンジュ)と全州(チョンジュ)の刑務所で獄中生活をし、91年5月25日に釈放された。彼はまた別の捏造スパイ被害者である済州出身のカン・ヒチョル氏(62)が2009年の再審訴訟の末に無罪判決を受けた事実を知り、2012年から国家暴力被害者を支援する市民団体「今ここに」とともに再審を準備し、2017年7月17日、無罪確定判決を受けた。

 「怪しい家」の内部は「グァンボの話」と「喪失の時代」、「今ここに」の展示空間とカフェ、ゲストルームで構成されている。展示空間には、カン氏が獄中で感銘深く読んだ小説の中のひとつである在日同胞作家の金石範(キム・ソクポム)の4・3事件に関する小説『火山島』や、李泳禧(リ・ヨンヒ)の『自由人』などが目を引いた。オ・ジェソン、カン・ヒチョル氏など他の済州の被害者たちの話を、写真やテキスト、映像作品で見ることができる。

ホ・ホジュン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/901170.html韓国語原文入力:2019-07-09 19:51
訳M.C

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