
2016年の拙速な締結以前から結局終了に至った現時点まで、韓日軍事情報包括保護協定(GSOMIA)をめぐっては、論争が絶えなかった。
韓日両国は、李明博(イ・ミョンバク)政権時代から本格的に協定の締結を推進してきた。当初、盧泰愚(ノ・テウ)政権が対北朝鮮軍事情報を共有する必要性を認識し、1989年に協定の締結を日本に提案したが、当時は日本が大きな関心を示さず、本格的な協議は行われなかった。しかし、李明博(イ・ミョンバク)政権時代の2009年、北朝鮮が長距離宇宙ロケット発射と二度目の核実験を強行したことを受け、翌年10月に日本が締結を提案した。

2011年1月、キム・グァンジン当時国防相と北澤俊美防衛相が軍事協定締結の必要性に対する公式議論を行い、翌年の2012年6月26日、李明博政権は国務会議で非公開案件としてGSOMIAを上程し、議決した。この事実が伝えられると、野党や市民団体、世論が強く反発し、協定署名が取り消された。しかし、朴槿恵(パク・クネ)政権は2016年にGSOMIAの締結を再び推進し、11月初めに東京で課長級実務協議を二回開いた後、22日の国務会議で議決し、一日で署名式まで終えた。
韓日のGSOMIAの締結まで米国が協定締結の必要性を強調するメッセージを公式・非公式で韓国政府に伝えてきた。2016年4月、米国は韓米日3カ国首脳会議で、年内に韓日GSOMIAを締結することを要請した。2016年7月、韓国内のTHAAD(高高度防衛ミサイル)配備が決定された直後の同年8月には、ビンセント・ブルックス当時在韓米軍司令官が、あるフォーラムで韓米日ミサイル防衛のための多国籍情報協力体系の重要性を強調した。
22日に韓日GOSMIAが終了したが、一部では2014年に締結された「韓米日情報共有約定」を活用し、韓日が間接的に情報共有を持続できるという意見もある。「韓米日情報共有約定」は、2012年に韓日GOSMIAの締結が白紙化され、米国が苦肉の策として示した代案で、2014年12月29日に発効した。米国を媒介にした韓日の情報交換を制度化したものだ。
ただし、韓米日情報共有約定は米国の仲介が必要である点で、情報共有に時間がかかるという限界がある。また“約定”は国防部間の約束であり、政府間で結ばれた“協定”とは重みが違う。敏感な情報共有の際、不要な誤解を招きかねないという点でも異なる。米国が韓米日協力を強調し、遠回しに韓日GSOMIAの終了を引き止めたのもそのためだ。軍事専門家のキム・ジョンデ正義党議員は「韓米、米日間の直接的な情報共有に加え、韓日間のGSOMIAがあってこそ、完璧な三角形が完成する」とし、「米国は韓米日が情報共有を越え、時差なく同じ時刻に共通作戦状況図を見ながら作戦を進められることを望んでいる」と説明した。