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全斗煥政権、87年大統領選挙直前に金賢姫の送還を試みた

登録:2019-03-31 23:41 修正:2019-04-01 00:49
1987年KAL858機の外交文書公開 
政権、大統領選挙前に金賢姫の送還に力入れ 
「だめならバーレーン政府が調査処理するよう 
手を離す問題も考えられる」
ソウルに送還された金賢姫=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 1987年、大韓航空KAL858機事件を政略的に利用しようと全斗煥(チョン・ドゥファン)政権がバーレーンで逮捕された金賢姫(キム・ヒョンヒ、写真)を大統領選挙前に国内に送還するため、激しい外交戦を繰り広げていた情況が、31日に外交部が公開した25万ページ分の1987~1988年の外交文書を通じて公式に確認された。大統領選挙前に金賢姫を送還することが難しい場合には、バーレーンに残留させる案も考慮されていたことが分かった。

 1987年11月29日、イラクのバグダッドから乗客と乗務員115人を乗せてソウルに向かっていた大韓航空858便の飛行機が行方不明になると、全斗煥政権は犯人と名指された金賢姫(蜂谷真由美)が逮捕されていたバーレーンにパク・スギル当時外交部次官補を特使として派遣した。

 12月8日、パク次官補は駐バーレーン米国大使館が提供したメディアの情報提供を報告した。「バーレーン外相は、蜂谷真一と真由美がバーレーンで服毒自殺を図って使用したアンプルの毒薬物が必ずしも北塊(北朝鮮)製と断言するには十分な証拠があるとは言えない」とし、「真由美がKAL事件に関与したという決定的な証拠がない」とみている、という内容だった。

 バーレーン外相は12月9日、パク次官補との会談で「(真由美の)引き渡し問題の解決に積極的に協力したい」としながらも「国際世論の非難を受けないため、真由美の身元確認などより具体的な証拠を韓国側が文書で提出する必要がある」と要求した。全斗煥政権は金賢姫を大統領選挙前に送還するために多方面で努力したが、最後までバーレーン側はためらったものとみられる。

 このような中、パク次官補は「真由美が遅くとも(1987年12月)15日までに到着するためには、飛行機の往来時間を考慮した場合、12日までには引き渡し通告を駐在国から受けなければならない」とし、「期日が遷延される場合には、むしろバーレーン政府が調査処理をしろというように手を離す問題も考えられそうだ」という提案もしていた。同年の12月16日の大統領選を考慮したものと解釈される。

 実際、パク次官補はバーレーンが当初合意した金賢姫の移送(12月13日夕方8時)の5時間前に延期を通知すると、「私たちも国内事情によって真由美をいつでも引き取れる立場ではない」とし、バーレーン側を圧迫したりもした。結局、翌日移送が承認され、金賢姫は全斗煥政府の計画通り、大統領選挙前日の12月15日に韓国に到着した。全斗煥政権がこの事件を大統領選挙に政略的に利用しようとした情況は、2006年の「国家情報院過去事件真実究明による発展委員会」が公開した文書などでも明らかになっている。

キム・ジウン、パク・ミンヒ、ノ・ジウォン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/diplomacy/888138.html韓国語原文入力:2019-03-31 22:13
訳M.C

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