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光州一高、親日音楽家が作曲した校歌を変える

登録:2019-02-13 22:15 修正:2019-02-14 09:47
生徒たち「抗日先輩に恥ずかしい」斉唱拒否 
教職員・同窓など世論調査を経て新しい校歌制定へ 
新しい校歌「あなたのための行進曲」を作曲した同窓に依頼
年内に変更の運命をむかえた光州一高の校歌//ハンギョレ新聞社

 学生独立運動の発源地である光州(クァンジュ)一高が、親日音楽家が作った校歌を変更することにした。

 光州一高は13日「民族問題研究所の『親日人名辞典』に上がった音楽家、李興烈(イ・フンニョル)氏(1909~1980)が作曲した校歌を今年中に変える」と明らかにした。この学校では昨年、作曲者の親日経歴に火が点いた後に実施したアンケート調査で、在学生の95%、教職員の94%、父母の90%が校歌の変更を要求した。卒業生も変更世論が圧倒的だったという。この学校のイ・スンオ校長は「生徒たちは卒業式に校歌を意図的に歌わないほどに拒否感が強かった。抗日の根拠地に親日の残滓をそのまま残すことはできないという共感が形成されただけに、不義に抵抗した100年の伝統を込めた新しい校歌を作る」と話した。

 1929年、光州学生独立運動の震源地だったこの学校の生徒たちは、入学式に独立抗争塔の前で「私たちは血沸く学生だ。正しい道だけが唯一私たちの生命だ」と誓って高校生活を始める。1920年に光州高等小学校として開校したこの学校は、1920年代末に日帝に対抗してストライキ休校を主導し、1970年代には維新独裁に抵抗して学生デモを行った。

来年開校100周年をむかえる光州一高の校舎=光州市教育庁提供//ハンギョレ新聞社

 この学校は3月に始業し次第、卒業生、生徒、教員から10人余りが参加する専門担当チームを設け、新しい校歌の制定に着手し、11月3日の光州学生独立運動90周年記念式場で歌うことにした。作曲は、同校を卒業した音楽家に依頼し、作詞は在学生から公募する。新しい校歌の作曲は「あなたのための行進曲」を作ったこの学校の同窓生キム・ジョンニュル氏が引き受ける。イ校長は「最近総同窓会がキム氏にお願いし、受諾された」と伝えた。また、以前の楽譜と校歌変更の推進過程を明らかにした碑を製作し、学校の史料として活用することにした。

 李興烈氏は「春がくれば」、「岩の峠」、「子守歌」など400余りの歌曲を作った作曲家だ。咸鏡南道元山(ウォンサン)の出身で、1931年に日本の東洋音楽専門学校(現東京音楽大学)を卒業し、光明(クァンミョン)普通学校の教師として勤めながら音楽活動をした。解放以後には京城音楽学校・徐羅伐(ソラボル)芸大・淑明女子大学教授を務め、8・15解放文化賞芸術院賞文化勲章なども受けた。だが、1940年代に国民皆唱運動と京城厚生楽団、平壌対話楽団などに参加し「反国家的音楽を構築し日本の音楽を樹立する活動」の先頭に立った行跡があらわれ、ヒョン・ジェミョン、キム・ドンジン、キム・ソンテらと並んで親日音楽家として人名辞典に上がった。これら4人が作曲した校歌を歌ってきた光州地域の学校15校のうち5~6校は校歌の変更を進行中だ。

アン・グァノク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/881989.html韓国語原文入力:2019-02-13 20:22
訳J.S

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