本文に移動

“慰安婦”被害者キム・ボクトンさん死去

登録:2019-01-29 06:15 修正:2019-01-29 07:46
28日夜10時41分、新村セブランス病院で他界 
もう一人のハルモニも死去…生存者23人に
昨年9月、日本軍性奴隷制(慰安婦)の被害者であるキム・ボクトンさんが、台風で被害を受けた在日朝鮮学校に1千万ウォンを寄付すると発表した当時の姿=正義記憶連帯提供//ハンギョレ新聞社

 日本軍“慰安婦”の被害者ハルモニ(おばあさん)、キム・ボクトンさんが死去した。享年93。

 ガンと闘っていたキムさんは28日夜10時41分、ソウル西大門区新村(シンチョン)セブランス病院で死亡した。慶尚南道梁山(ヤンサン)出身のキムさんは、14歳で日本軍に連れて行かれ、22歳のときに帰って来た。キムさんは国内外日本軍“慰安婦”の被害について証言してきた平和運動家だった。2015年には紛争地域の被害児童支援と平和活動家の養成に使ってほしいとして、こつこつ貯めてきた5000万ウォン(約490万円)を「ナビ(蝶)基金」に寄付した。ナビ基金はこの資金で「キム・ボクトン奨学基金」を作った。キムさんは同年、国際メディア団体が選定した「自由のために戦う英雄」として、南アフリカ共和国最初の黒人大統領であるネルソン・マンデラや米国の黒人人権運動家マーティン・ルーサー・キング牧師らと共に、名を連ねた。昨年には公益社団法人「チョン」(理事長キム・ジェホン、キム・ヨンギュン)が制定した「正しい義人賞」の初代受賞者に選ばれた。当時、公益社団法人チョンは「キムさんが日本軍“慰安婦”被害者としてつらい記憶を抱えながらも、ほぼ全財産を後進教育のために寄付し、平和と統一の信念と韓日の歴史問題に対する正しい歴史観を広めた」と、選定理由を明らかにした。

日本軍性奴隷制被害者のキム・ボクトンさんが昨年9月3日午前、ソウル鍾路区政府ソウル庁舎別館前で「和解・癒やし財団」の解散を求めて一人デモを行っている=キム・ソングァン記者//ハンギョレ新聞社

 キムさんは在日コリアンの子どもたちに格別な愛情を持っていた。幼くして日本軍に連れて行かれ、学校教育をまともに受けられなかったためか、日本政府の支援をまともに受けられない在日朝鮮学校の生徒たちに、特に関心を持っていた。2016年から政府支援を受けられなくなった在日朝鮮学校の学生6人に奨学金を支援していたキムさんは、昨年11月22日、入院先の新村セブランス病室で「在日朝鮮学校の学生たちの奨学金に使ってほしい」として、さらに3000万ウォン(約290万円)を寄付した。最後までキムさんの願いは「安倍に心から謝罪してもらうこと」だった。

 同日、もう一人の日本軍慰安婦被害者のハルモニ(93)もなくなった。正義記憶連帯のユン・ミヒャン代表は同日、フェイスブックに「(Lさんが)昨年末から体調を崩していたが、最近悪化し、苦しんだ末に今日午前、他界した」とし、「痛々しく苦しい記憶、孤独でつらい記憶を、すべて忘れて安らかに眠ってほしい」と書き込んだ。ユン代表は「(Lさんは)17歳になった1942年ごろ、職場の紡織工場で仕事を終えて帰宅する途中、工場近くで軍用トラックから降りた軍人に同僚2人と共に拉致された。その後、日本に、また満洲に連れて行かれ、被害に遭った」と伝えた。Lさんは解放後、密輸船に乗って辛うじて帰国した。ユン代表は「ハルモニは被害経験がもたらした罪の意識と被害意識に一生苦しんだ」とし、「伺うたびにハルモニの顔に現れた苦しみと寂しさを見て、悲しく胸が痛んだ」とも記した。

 チン・ソンミ女性家族部長官は同日、Lさんの死去に哀悼の意を伝えた。チン長官は「先日、ハルモニにお会いした際、健康状態が悪く、一日も早く全快することを心より望んでいたが、しばらくしてハルモニが亡くなられ、やりきれない思いを禁じえない」とし、「ハルモニ一人ひとりに直接伺い、安らかな気持ちで元気に過ごせるよう支援することに最善を尽くしたい」と明らかにした。正義記憶連帯は、Lさんと遺族の意思によって、葬儀は非公開で行われると発表した。2人のハルモニの死去で、慰安婦被害の生存者は23人に減った。

イ・ユジン、パク・ダヘ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/880245.html韓国語原文入力:2019-01-29 00:35
訳H.J

関連記事