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「平和憲法改正したい」安倍首相の外祖父の岸信介が60年前米国に提案

登録:2018-12-20 21:24 修正:2018-12-21 08:21
1957年訪米控え米大使に提案 
A級戦犯は「私の獄友」釈放要請 
岸の熱望を孫の安倍首相が受け継ぎ 
1969年自衛隊幕僚長「空母が欲しい」
岸信介元日本首相=資料写真//ハンギョレ新聞社

「(日米)安保条約の改正後に選挙に臨みたい。そうすれば両院(衆議院と参議院)で改憲に必要な3分の2を獲得できる」

 安倍晋三首相の外祖父でA級戦犯容疑者だった岸信介首相が、61年前に平和憲法の改定希望を米国に明らかにしていた事実が明らかになった。

 日本外務省が19日に公開した外交文書によれば、岸は1957年春、ダグラス・マッカーサー2世・駐日米国大使に対し平和憲法改定の熱望を明らかにした。彼はその年の6月、米国を訪問しアイゼンハワー大統領に会うのに先立ち、マッカーサー2世大使と7回の予備会談をした。マッカーサー2世大使は、日本占領軍の司令官だったダグラス・マッカーサーの甥だ。岸は、マッカーサー2世大使に文書を送り、具体的なシナリオも提示した。まず不平等条約という批判を聞く米日安保条約を改定し、その後に戦争放棄と軍隊保有の禁止を規定した憲法を改定し自衛隊の海外派兵を可能にするという提案だった。

 米国は当時は米日安保条約の改定に消極的だった。岸が安保条約の改定に成功したのは1960年だ。しかし、岸は大規模反対デモのために改定安保条約の発効後一カ月余りで退陣する。

 太平洋戦争当時、東条英機内閣の閣僚だった岸は、A級戦犯容疑者として逮捕され3年3カ月間収監された人物だ。岸は、自身が収監されていた巣鴨拘置所に1957年当時まで収監されていたA級戦犯について「私の監獄友達」だとして、米国大使に釈放の要請もした。米国は翌年戦犯を全員釈放した。

 日本が1969年にも航空母艦の保有を望んだ事実も外交文書を通じてあらわれた。当時、日本側と安保関連の会議をした駐日米国大使が、空母の保有を望むのかと尋ねると、自衛隊統合幕僚長(韓国の合同参謀議長に該当)だった板谷隆一は「もちろんほしい」と答えた。だが、彼は「防衛のためと説明するには難点がある」とも言った。空母を防御用と主張することが難しいことを認めたわけだ。

 安倍晋三首相は、自国の指導者が50~60年前から希望していた改憲と空母の保有を推進している。彼は改憲を「生涯の課題」と言う。日本政府は最近、空母の導入を公式化した。祖父の岸の意志を敬う安倍首相の動きは「課題」だけでなく「家業」を受け継ぐこととも見ることができる。統合幕僚長が空母保有の希望を明らかにした1969年、日本の首相は岸の弟の佐藤栄作で、安倍首相にとっては大叔父だ。

東京/チョ・ギウォン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/875223.html韓国語原文入力:2018-12-20 17:15
訳J.S

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