夢にでも一度会いたかった。57年前に最後に見た妻の顔が今も目の前にちらつく。1961年8月に南に渡りながら、病院にいた妻に会わずに来たのがいつまでも悔やまれる。平壌(ピョンヤン)船橋里、大同江(テドンガン)を渡ればすぐ見えたマンションの5階8号室が彼が暮らした家だった。最高齢の非転向長期囚ソ・オクリョル氏(90・光州市北区角化洞)は、24日「おかしいな…こんなに願っても(妻が)一度も夢に現われない」と話した。
ソ氏は最近、肺に水が溜まり入院して治療を受けている。この日午前、光州広域市北区のある病院で会ったソ氏の顔はやせ衰え、手と足はやせこけていた。ご飯をあまり食べられず薬を飲むのも難しい。曇りの日は拷問の後遺症に苦しむ。「ここを見て。骨が正常じゃない…。若い頃は気づかなかったが、年をとると症状が出ます」。彼の最後の願いは、死ぬ前に妻と2人の息子に会うことだ。5歳(56年生まれ)、3歳(58年生まれ)だった2人の息子と生前に会えるだろうか。
ソ被告の人生は「分断の痛み」そのものだ。全羅南道新安出身の彼は、高麗大学経済学科に在学中だった1950年、朝鮮戦争の時に人民軍に入隊した。北朝鮮では江原道川内郡中学校で教員生活をし、「女性教員」(30年生まれ)に出会って恋愛し結婚した。1961年に工作員として南に派遣され、故郷の家を訪問したときに逮捕された。国家保安法違反罪で起訴され、29年間を監獄で過ごした。「妻よ!あなたが生きているのか、知りたくて仕方がない…」。ソ氏は1998年に妻に書いた手紙をまだ送れずにいる。
ソ氏は最近、ひとすじの希望を再び抱いている。27日に開かれる南北首脳会談を契機に、朝鮮半島に薫風が吹けば「送還」問題も解決されるのではという期待感のためだ。ソ氏は「いつ死ぬか分らないが、死ぬ前に最後に家族たちと一目会いたい。なんとか人道的側面から顔を見る機会でもあってくれれば」と話した。1992年、大学生記者の時にソ氏をインタビューした後、これまで縁を続けてきたチョン・ギョンミさん(47)は「最近、記憶もぼやけてきた状態ですが、数日前に『まだ死ねない』とおっしゃって胸が痛かった」と話した。
ソさんのように北朝鮮に戻ることを希望する人は19人だ。2000年、初の南北首脳会談で合意した6・15共同宣言によって、非転向長期囚63人が北朝鮮に送還された後、残りの2次送還要求者33人のうち19人だけが生存している状態だ。彼らは皆、80~90代の高齢で、1次送還の対象に含まれなければならなかったが、連絡が取れず申請ができなかったり、国家暴力で強制転向したという理由で保守勢力が反発し、送還時期を逃した人たちだ。民主化実践家族運動協議会の良心囚後援会・韓国進歩連帯などは18日、大統領府前広場で記者会見を開き、「非転向長期囚は分断と冷戦の産物だ。同胞愛と人道主義の精神で、早急に19人を送還しなければならない」と要求した。