14日に進行された検察調査で、予想通り李明博(イ・ミョンバク)元大統領は多くの疑惑を否認したことが分かった。道谷洞(トゴクトン)の土地も自身のものではなく、ダースも自身のものでなく経営にも関与したことがないとした。今まで検察に“被疑者”として召喚された4人の元大統領も、検察の召喚に応じる方式や調査態度は違ったが、主要疑惑をすべて否認した。
昨年3月21日、検察に出頭した朴槿恵(パク・クネ)前大統領は、検察調査の時にあらかじめ準備してきた台本を読むような“シナリオ型”に属した。憲法裁判所により弾劾が決定され、11日後に検察に召喚された朴前大統領は、14時間にわたり「チェ・スンシルさんにだまされたという気がしてみじめな心情」「サムスンがチョン・ユラを支援したことも、馬を買ったことも知らなかった」など準備された返事を繰り返した。調査は当日午後11時40分に終わったが、翌朝7時までの7時間ほどは調書を閲覧した。朴前大統領は、検察特別捜査本部1期の召喚通知に3回応じず、パク・ヨンス特別検察官の召喚にも応じずにいて、弾劾後に民間人の身分になってから調査に応じた。
自身が法曹人だった盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領は、自身の疑惑と関連して進退を区分できる“弁護士型”だったという。2009年4月、検察に出頭した盧元大統領は、自身に不利な陳述は最小化しながらも、防御が必要な部分では積極的に意見を陳述したと伝えられた。当時検察は「盧元大統領は事実関係については『そうだ、違う、覚えていない』など短い返答を主に使い、評価が必要な部分については十分に意見を述べた」と伝えた。
全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領は、検察の召喚通知に“路地声明”で対抗した“憤然型”だった。1995年12月、検察が全元大統領に召喚を通知すると、彼はソウル延禧洞(ヨニドン)の自宅前で「召喚要求およびその他のいかなる措置にも協力しない」と明らかにし、故郷陜川(ハプチョン)に渡った。これに対し検察は、事前逮捕状の発給を受け彼を逮捕し、全元大統領は安養(アニャン)刑務所の独房に収監された後にも「第5共和国の正統性を守護する」として、断食闘争を行い病院に搬送された。
これとは違い、盧泰愚(ノ・テウ)元大統領は、検察の調査に素直に応じたが実際の調査では「知らぬフリ」で一貫したという。秘密資金造成疑惑などで1995年11月、最高検察庁に出頭した盧元大統領は、フォトラインに立ち「皆さんが胸に抱いている不信、そして葛藤、すべて私が抱いて行く」と明らかにしたが、17時間続いた調査では「言えない」、「覚えていない」、「知らない」という返事だけを繰り返したと伝えられた。