本文に移動

「ロッカールームでのダンスタイムも、カフェも一緒に」…単一チーム33日の思い出

登録:2018-02-26 23:29 修正:2018-02-27 19:50
女子アイスホッケー選手たちが話す「出会い」、そして…

「体に気をつけて必ずまた会おうね」
別れがたくて抱き合った選手たち
バスの窓ごしに手を握り合って
再会の約束交わし涙、涙

高校生3人組のイ・ウンジ、キム・ヒウォン、オム・スヨン
「おしゃまだと言って可愛がってくれた北の姉さん
冗談交わして姉妹のように親しくなった」
パク・ユンジョン「鏡浦の浜辺の思い出、忘れられない」

「2018平昌冬季五輪」を終えた北朝鮮選手らが26日朝、江原道江陵市の江陵五輪選手村を離れ、韓国選手たちと握手を交わしている=江陵/キム・ソングァン記者//ハンギョレ新聞社

「体に気をつけて、必ずまた会おうね」

「元気でね、きっとまたね」

 26日午前7時40分、江陵(カンヌン)の五輪選手村前のウェルカムセンターは、涙の海になった。女子アイスホッケー単一チームの北朝鮮選手たちが、20メートル先のバスまで移動するのに10分もかかった。見送りに出てきた韓国の選手たちは、北朝鮮の選手たちと抱き合って離れなかった。サラ・マレー総監督とパク・チョルホ北朝鮮監督も泣きながら抱き合った。バスに乗っても、窓を開けて選手たちは手を伸ばして握りあい、別れを惜しんだ。大韓アイスホッケー協会の関係者は「誰が選手たちを泣かせるのか?本当に胸が痛い」と話した。

 先月25日、北朝鮮の選手12人が忠清北道鎮川(ジンチョン)の選手村に合流した時には、2018平昌(ピョンチャン)五輪の最大の遺産は平和五輪だということを実感する人は多くなかった。国内世論やチーム内の反発まで、南北単一チームの成功可否は不確実だった。23日、江陵オリンピックパーク内のコリアハウスで出会ったマレー総監督は「五輪を半月後に控えて単一チームが構成された時は、心配と不安でいっぱいだった」と吐露した。

 だが、南北単一チームは平昌五輪成功の最も強力な原動力だった。五輪開催以後の遺産を重視する国際オリンピック委員会(IOC)は、平昌大会を平和の五輪として記録することが確実だ。単一チームのB組リーグ日本戦での初ゴールパックは、国際アイスホッケー連盟(IIHF)の名誉の殿堂に保管される。単一チームの競技を見守った外国人記者たちが、単一チームを応援する姿も相次いだ。

「2018平昌冬季五輪」を終えた北朝鮮の選手たちが26日朝、江原道江陵市の江陵五輪選手村を出発する際に韓国の選手たちと挨拶を交わしている=江陵/キム・ソングァン記者//ハンギョレ新聞社

 マレー総監督はチームを一つにまとめる作業を心配したが、取り越し苦労だった。単一チームが20日のスウェーデンとの7~8位戦敗北によって五輪の旅程を終えた時、選手たちは互いに抱きあい慰めあい、25日にチョ・ミョンギュン統一部長官が主催した昼食会でも、多くの選手たちが泣いた。マレー総監督は「同じコリアの血が流れているじゃないか。初めは内部の反発もあったが、明るくて純粋な北朝鮮の選手たちに会って気持ちが変わった。私たちはすぐに一つになった」と説明した。

 マレー監督の英語を韓国語に訳し、北朝鮮の選手たちにも伝えたチョ・スジ選手は「初めは話法と抑揚が違っていてわかりにくかったが、彼女たちの純粋さが分かってからはすべて心で通じた」と話した。マレー総監督は、南北の選手たちを一つのテーブルに集めて誕生日パーティを開き、公正に接して信頼を得た。70以上の南北アイスホッケー用語が書かれたプリントを配ると、すぐに韓国の選手たちは北朝鮮の用語を、北朝鮮の選手たちは韓国の用語を覚えて馴染んだ。

 17歳の高校生3人組のイ・ウンジ、キム・ヒウォン、オム・スヨンは「先入観とは違う北朝鮮の姉さんたちを知ることができた」と告白した。3人は、昨年4月に江陵で開かれた国際アイスホッケー連盟世界大会の時に北朝鮮チームに会ったことがある。各国の選手団が泊まるホテルのビュッフェ食堂で北朝鮮の選手たちに会った時は、関係は冷たかった。単一チームディフェンスのキム・ヒウォンは「昨年は声を掛けても冷たかったけれど、今度は実の姉さんのようによくしてくれた」と話した。負傷のために本戦に出場できなかったフォワードのイ・ウンジは「北の姉さんが私に『あなたは本当に面白い』と言った。姉さんにたくさんいたずらした」と紹介し、ディフェンスのオム・スヨンは「北朝鮮の姉さんが私を『おしゃまだ』と言って可愛がってくれた」と話した。

南北女子アイスホッケー単一チームの選手たち35人がサインした単一チームのユニフォームを代表チームのコ・ヘイン選手が持っている=江陵/キム・ソングァン記者//ハンギョレ新聞社

 単一チームでは南北当局の統制は通じなかった。一緒に生活する空間や、10~20代の若者たちのコミュニケーションまでは侵害できない。昨年の世界大会南北戦の時、オム・スヨンが強く打ったパックを首に受けた北朝鮮のチョン・スヒョンは、オム・スヨンに冗談も言った。オム・スヨンは「スヒョン姉さんが首の部分を指して『あの時はあんたのせいでひどく腫れて、ご飯も食べられなかった』と言った。私がわざとそうしたのではないと改めて謝ろうとすると姉さんが大笑いした」と話した。競技前のロッカールームで大きな音で音楽をかけてダンスをするのも一緒、2014ソチオリンピックのアイスホッケー決勝戦をテーマに話しても話は尽きなかった。

 生まれたばかりの頃に米国の家庭の養女となったパク・ユンジョンは、北朝鮮の選手たちとの出会いはとても特異な経験だった。彼女は「4年前、韓国代表チームに選ばれた時、私はあらゆる点で異邦人だった。今回、北朝鮮の選手たちも出てきて、同じように外の人という感情を感じていると思った。南に下って来て合流する選手たちの困難を考えて、より積極的に北朝鮮の選手たちと親しくなろうと努力したようだ」と話した。また「五輪期間中、鏡浦(キョンポ)の浜辺で南北の選手たちがマレー監督を水に落とそうとしたり、カフェでお茶を一緒に飲んだ思い出が忘れられない」と振り返った。

 単一チームの競技力の側面は研究課題だ。五輪初出場の大会で、単一チームは5敗で最下位の8位に終わった。世界ランキング22位の韓国、25位の北朝鮮チームの実力を考慮すれば、他のチームとの格差は当然だった。それでは監督が見る単一チームの戦力はどうだったのだろうか?マレー総監督は「北朝鮮の選手たち12人が韓国チームに合流して、それまで競争の無風地帯だった代表チームの雰囲気が変わった。生き残らなくてはいけないという危機意識を呼び起こした点では肯定的」と話した。単一チームには、北朝鮮の選手が競技当たり3~4人ずつ入り、残りは韓国の選手たちが入った。

 単一チームを指揮して世界的に広く知られたマレー総監督は、今後2年間さらに韓国代表チームを引き受ける。2022年の北京オリンピックには、現在の8チームより多い12チームに進出国数が増える可能性がある。大韓アイスホッケー協会は、北京大会出場のためのプロジェクトを準備している。だが、韓国が五輪に進出することは容易でなく、さらに南北単一チームを構成することは南北関係という変数に左右される。それでもマレー総監督は「両国の選手たちを一つに構成して、訓練させたことで学んだことが多かった。北朝鮮が招請すれば、いつでも駆け付けて北朝鮮代表チームの選手のための短期プログラムを運営できるだろう」と話した。

 マレー総監督は、単一チームを指導して記憶に残る北朝鮮の言葉として“ムンチギ(門番)”を挙げた。彼女は門番を韓国語で発音して笑った。さらに韓国で生活して馴染んだ好きな言葉として“コブギ(亀)”を挙げた。マレー総監督が率いた女子アイスホッケー単一チームが、南北間対立解消のための遠い長征で「亀の一歩」になるかも知れない。

江陵/キム・チャングム、キム・ソングァン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/sports/sports_general/833789.html韓国語原文入力:2018-02-26 19:39
訳J.S

関連記事