お互いに知らない人だが、彼らは抱きあって涙を流した。19日午前11時30分頃、京畿道安山市(アンサンシ)安山第一葬儀場。セウォル号惨事後、3年あまり続いた水中捜索と船体の収拾を経てもついに戻らなかった檀園高校教師のヤン・スンジンさん(事故当時59歳)の妻が、弔問にきた20代の女性2人をぎゅっと抱きしめた。「陽地高校の教え子たちです」。その瞬間、大粒の涙が続けて地面に崩れ落ちた。ヤン先生は檀園高校の前は陽地高校で勤務した。2010年に卒業したという教え子たちは「担任の先生ではなかったが、最期の道で菊の花一輪でも差しあげたかった」と話し、流れる涙をぬぐった。
安山第一葬儀場にはヤン先生とともにセウォル号未収拾者リストある檀園高校のパク・ヨンイン、ナムヒョンチョル君(当時17歳)の合同焼香所が設けられている。葬儀場1階に設けられた合同焼香所には同日、キム・サンゴン教育部長官をはじめ政界関係者、一般市民の弔問が絶えなかった。
弔問客らはついに戻らなかった3人の遺影の前で涙を流して追悼した。弔問客らは各階に別途設けられた故人の葬儀場をすべて訪れ、遺族たと悲しみを分かち合った。セウォル号の真実究明に向けて一緒に闘ってきた416安山市民連帯所属の関係者たちの合同弔問を迎えた遺族たちは、彼らの肩を叩いた。押さえていた感情がこみ上げたヨンイン君の両親はとうとう涙をあふれさせた。
葬儀場の入り口には「骨ひとかけらだけでも…」、「行く道には一点の波もないように…」など、故人を哀悼し追悼する付箋が数百枚が貼られていた。「真実の春、セウォル号の真実が明かされるように最後まで努力するよ」。真実究明を要求する声も変わらない。糸きれのような希望を抱いて約3年の間冷たい風を受けながらセウォル号のそばから離れなかった遺族の健康を気遣う人々の心が伝わってくるかのように、メモを読む市民たちの目にも涙が溜まった。
前日木浦(モッポ)で開かれた追悼式からこの日まで葬儀場に控えていたジェ・ジョンギル安山市長は「遺体がないまま行う葬儀で遺族の悲しみはまだ鎮まっていない。1313日間の悲しみを忘れ、一日も早く心が落ち着くように」と話した。
これに先立つ18日、木浦新港庁舎2階の講堂で未収拾者合同追悼式が行われた。追悼式当日、4・16家族協議会の遺族たちは、彼らを見送る政治家の行列に向かって「セウォル号は事故ではない。真相を究明するためセウォル号2期特別調査委員会特別法を必ず制定せよ」と叫ぶ場面もあった。
未収拾者5人の家族は18~20日、三日葬を行う。檀園高校の犠牲者の遺品は20日、水原(スウォン)火葬場で火葬された後、他の犠牲者たちが安置された平沢(ピョンテク)西湖公園に移される。クォン・ジェグンさん(当時52歳)と息子のヒョッキュ君(当時7歳)の葬儀所はソウル峨山病院に設けられ、遺品は20日に仁川(インチョン)家族公園に設けられたセウォル号一般人犠牲者追悼館に安置される。