また良く眠れませんでした。朴槿恵(パク・クネ)政府時代の大統領府が、セウォル号惨事当日に朴前大統領に状況を報告した最初の時刻を30分遅くなるよう記録を改ざんしたというイム・ジョンソク大統領府秘書室長の発表を見た後、本箱の隅にしまっていたセウォル号の記録と再び向き合ったためです。こんにちは、当時セウォル号惨事を集中取材したチョン・ウンジュ記者です。
「大統領府が朴前大統領に最初の報告書を午前9時30分に報告したことになっているが、6カ月後の10月23日に午前10時に変わった」というイム秘書室長の発表は「セウォル号のゴールデンタイムを誰が無駄にしたのか」という質問を再び投げかけます。彼らが改ざんした30分は、304人の命を救うための十分な時間だったためです。2014年7月、嘉泉大学超高層防災融合研究所のセウォル号脱出シミュレーションによれば、最後の脱出可能時間は5階甲板が浸水した“10時6分44秒”であり、操舵室に集まっていた船員が逃走した9時45分に“退船命令”を下していたならば、搭乗客476人は6分17秒後に船から脱出できました。9時30分から10時までは、1分1秒が生死を分ける時間でした。
2014年4月16日午前8時49分、セウォル号は急変針しながら左に30度傾きます。8時52分、檀園高生チェ・トッカさんは119に救助要請し、その電話は木浦(モッポ)海洋警察状況室につながりました。木浦海洋警察は8時58分まで通話して「沈没」 「仁川港8時出港」 「セウォル号」 「旅客船」という情報を得ており、海洋警察全体にこれを伝達しました。YTNの記者が警察幹部から「珍島で500人が乗った旅客船が遭難し沈没している」という情報提供を受けたのが9時13分です。
しかし、朴槿恵政府の大統領府は9時19分にYTNの最初の報道を見て、セウォル号事故を認知したと主張しました。海洋警察本庁に事実の真偽を確認した後、9時24分に内部メッセージで知らせたが、朴前大統領に最初の報告ができたのは36分も遅い午前10時だったと強調しました。「大統領に対して単に『事故が起きました』とだけ報告してはならず、その状況を正確に把握しなければならず、ある程度の輪郭を把握したのが9時50分です。それで10時に大統領に最初の報告を上げました」。(2014年7月キム・ギュヒョン国家安保室1次長の国会発言)
朴前大統領が、セウォル号が沈没し始めてから1時間が過ぎるまで事故発生の事実を知らなかったという点のために大統領府は「のろま報告」「不良対応」という厳しい批判を受けましたが、朴前大統領は“ゴールデンタイム”を逃した責任からは一歩まぬがれました。今年3月、憲法裁判所が大統領の罷免を決め、「(セウォル号事件で大統領が)誠実義務に顕著に違反しはしたが、職務を意識的に放任したり放棄したケースに該当するとは見難い」と結論を下した理由です。
しかし、12日のイム秘書室長の発表のとおり、最初の報告書が朴前大統領にすでに9時30分には伝えられていたならば、304人の生死を決定する“ゴールデンタイム”に朴前大統領がその職務を尽くさなかったことは明らかになります。実際、裁判所は最初の報告時点が何時だったかにより救助失敗の責任範囲を決めました。初動対応失敗の責任を負い、唯一人刑事処罰(業務上過失致死罪・懲役3年)を受けたキム・ギョンイル123艇長は、1審で乗客304人のうち56人の犠牲についてのみ責任を担いました。キム艇長の最初の現場報告が午前9時44分だったので、この時に退船命令を下していたならば56人の命を救うことができたと1審は判断しました。しかし、1年が過ぎてキム艇長が9時36分にはすでに現場報告をしていたという事実が新たに明らかになり、結局2審は123艇が到着する前にセウォル号から墜落して死亡した1人を除く被害者全員(303人)に対する業務上過失致死を認めました。最初の報告時点が8分早くなったために“生存できる人員”が56人から303人に増えたのです。
ゴールデンタイムの1分1秒がどれほど重要なのかを最もよく知っていたのは、朴前大統領と当時の大統領府だったかもしれません。惨事直後から大統領は事故を最初に知った時刻を「午前10時」と主張し続け、その主張に合わせて惨事から6カ月が過ぎた後に公文書まで改ざんしたからです。その修正報告書は、憲法裁判所弾劾審判の主要証拠としても提出されました。
セウォル号のゴールデンタイムを無駄にした本当の責任者を捜し出せる希望の糸が見つかったことは幸いですが、あまりに遅きに失したのではないか、心配が尽きません。