26日午後8時定刻、大統領府春秋館前でコ・ミンジョン大統領府副報道官と市民たちが叫んだ。「5、4、3、2、1」。大統領府前に立ちはだかっていた鉄の扉が開かれると、歓声があがった。49年ぶりに大統領府前の通りが夜間にも開放される現場を見守っていた市民約200人は、「胸がすっとする」、「新しい時代が訪れた」と叫んだ。
堅く閉ざされた鉄の扉が開くと、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で事前に申し込んだ市民50人は、文在寅(ムン・ジェイン)大統領夫人のキム・ジョンスク氏(63)やユ・ホンジュン光化門(クァンファムン)大統領公約企画委員会総括委員長と共に、大統領府春秋門から景福宮(キョンボククン)・神武門までの道を歩いた。神武門前に設置された簡易舞台に上がったキム氏は「これまで夜8時になると、通行が禁じられて寂寞としていたが、今日は活気があふれていい」としたうえで、「小さな変化だが、権力に阻まれた国民の道、広場の道を再び国民に返すことができて嬉しい」と述べた。市民たちは拍手を送りながら、「文在寅大統領ファイト」と叫んだ。
1968年の「大統領府襲撃未遂事件」(金新朝<キム・シンジョ>事件)以降統制されていた大統領府入口前の通りが26日から24時間全面開放された。開放される地点は、大統領府記者室がある春秋館と大統領府正門前の噴水広場を東西でつなぐ「大統領府路」だ。これまでは午前5時30分(冬季は朝6時)から午後8時まで開放され、夜間には警護の問題で一般市民の通行が制限されてきた。
鍾路区(チョンノグ)三清洞(サムチョンドン)に住む「大統領の隣人」チェ・ジュンさん(41)も同日夜、散歩に出た。彼は「これまで大統領府にはベールに包まれた暗いイメージがあった。今回の開放は歴史的空間を共有するという点で意味がある」と話した。京畿道高陽市(コヤンシ)に住むチャン・グィソクさん(68)は「開放行事をすると聞いて、民主化運動をしていた仲間たちと来た」とし、「以前にも大統領府周辺によく来ていたが、毎回検問に阻まれた。今回初めてこの地を踏むことになり、感無量だ」と話した。
大統領府のパク・スヒョン報道官は22日、春秋館ブリーフィングで、大統領府前の通りを開放したことについて「開かれた大統領府を具現する措置の一つ」だとし、「夜間における市民の景福宮周辺への通行が自由になり、ソウルの代表的な散策路として定着することを期待する」と話した。
開放時間帯にも市民に不便を強いてきた警察の検問も緩和された。 同日未明5時30分、雨の中で警察官は大統領府周辺5つの移動式検問所の装備を無くした。その場には交通案内所だけが残った。一部の保安施設を除けば、仁王山(インワンサン)の頂上で、自由に大統領府周辺を撮影できるようになった。大統領府警護室関係者は「大統領自ら市民に近づき、国の主人である国民に仕える側に生まれ変わるだろう」と話した。
大統領府前の通りは全面統制されていたが、1993年2月、金泳三(キム・ヨンサム)政権の「権威主義撤廃政策」の一環として市民に初めて公開されたものの、夜間開放は行われなかった。
大統領府前の通りが開かれたことで、“言いたいことの多い”市民たちが大統領府の前を以前よりも多く訪れる見通しだ。大統領府前の通りが部分開放された1993年2月にも、大統領府前はデモの空間だった。当時マスコミは、「大統領府前の集団請願デモが1993年には600件行われており、1992年の7件に比べて大きく増えた」と報じた。1993年の風景は2017年にも再現されている。30日、ゼネストを予告した全国民主労働組合総連盟は、すでに大統領府の正門前100メートル付近にテントを設置し、「労働時間の短縮、全国教職員労働組合の合法化」を求める座り込みを行っている。しかし、警護室関係者は大統領警護の懸念について「これまで大韓民国の警護の力量は大きく発展をしてきた。現在、大統領府が備えた警護力量で発生しうる様々な危険は十分に防げる」と話した。