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朴大統領「報告書の検討」ばかり14回…具体的指示はなかった

登録:2017-01-10 23:06 修正:2017-01-11 02:17
1001日ぶりに提出された「セウォル号7時間」答弁書 
憲法裁判所「初めて認知した時点を補完し、再び提出せよ」と突き返す 
キム・ジャンス国家安保室長との通話記録などの提出なく、証拠資料も3件だけ
朴槿恵大統領が憲法裁判所の釈明要求に従って、今月10日に提出したA4用紙16ページのセウォル号7時間の行跡についての答弁書//ハンギョレ新聞社

 この答弁書を提出するまでに1001日もかかった。

 朴槿恵(パク・クネ)大統領が憲法裁判所の釈明要求に従って、10日に提出したセウォル号惨事当日の「7時間の行跡」は、「報告書を受け取って検討した」という内容が大半を占める。その日に限って「体調が優れず」官邸執務室で執務することにしたという朴大統領は、船が完全に転覆し沈没した写真報告を受けてからも、4時間近く官邸を離れず、「報告書を検討した」と明らかにした。緊迫した状況でも、大統領府の参謀たちが対面報告ではなく書面で提出したという十数回の報告書を、朴大統領が実際に読んだかどうかについては、明らかにしなかった。

 朴大統領が憲法裁に提出した答弁書にはこの3年間、4・16セウォル号惨事特別調査委員会、国会の国政調査特別委員会、監査院、検察の捜査や裁判などで公式に確認された事実関係さえも無視し、便宜的に当てはめた痕跡が随所に現われていた。憲法裁は「記憶を辿って当日の行跡を明らかにするよう求めたのに、答弁書はそれを満たしていない。セウォル号事件を初めて認知した時点などをさらに詳しく説明してほしい」として、事実上突き返した。

■報告書はあるが、実際に検討は?

 朴大統領は、代理人団を通じて、自身の弾劾審判事件を審理する憲法裁にA4用紙16ページ分のセウォル号7時間の行跡についての答弁書を提出した。このうち8ページにわたって2014年4月16日午前9時53分から午後5時30分の間に自分が行ったという33件の行跡を時系列で記載した。

 朴大統領が「状況の深刻さ」に気づき、中央災害安全対策本部に行くために「髪の毛をアップする」(午後3時35分)直前までの26件の行跡のうち、「報告書を受け取って検討した」という内容は何と14件(セウォル号関連11件)に達する。しかし、答弁書には、報告書を一行に要約した内容が記されているだけで、朴大統領が具体的にどのような指示をしたかは明らかにしていない。しかも、朴大統領側は14件の報告書のうち3件だけを証拠資料として添付した。

 朴大統領は、昼休みの時間帯の昼12時50分に行ったチェ・ウォンヨン雇用福祉首席秘書官との基礎年金に関連した通話記録はあると明らかにした。一方、キム・ジャンス国家安保室長とは午前と午後の7回の通話で、沈没状況を把握して適切な指示を下したと主張しながらも、これを証明する通話記録は提示しなかった。一番重要な資料は提出しなかったのだ。イ・ジンソン憲法裁判官は「キム室長との通話記録を補強し再提出せよ」と要求した。

■朴大統領「当日午前10時になって惨事の報告を受けた」

 惨事当日、YTNは午前9時19分に最初の速報を出した。さらに、すべての放送がこれを受けて速報を流した。朴大統領は午前10時に関連報告書を初めて受けたという従来の立場を答弁書でも繰り返した。国民もすでに知っている内容を、(事故発生から)41分が経過してからようやく報告を受けたという主張だ。

 朴大統領は、セウォル号の救助失敗の主な原因の一つに「マスコミの誤報」を挙げた。「全員救助」という報道を信じて、対応が遅れたということだ。しかし、午前10時17分にすでにセウォル号の船体は108度以上傾いており、10時30分には沈没した。放送は、このような場面をリアルタイムで中継していた。特に、朴大統領が午前11時20分に受け取って検討したという報告書には、既に船首だけを残してすべて水に浸かったセウォル号の船体の写真と共に、「午前11時現在、474人のうち161人を救助」など、状況の深刻さを示す情報がすべて盛り込まれていた。しかし、朴大統領は午後2時50分になって、救助人員の集計が間違っていたという電話報告を受けて、慌てて中央対策本部への訪問を指示したということだ。官邸のダイニングルームにもあるというテレビが、官邸の執務室にはなかったというが、官邸の執務室から出てくれば見られたはずのテレビには目もくれずに一日中過ごした朴大統領が、(対応の遅れを)「誤報のせい」にするのは納得がいかない部分だ。イ・ジンソン裁判官は「午前10時前にテレビで(セウォル号の沈没を)確認したかどうかを明らかにしてほしい」と求めた。

■監査院の調査も無視した誤りだらけの答弁

 朴大統領側は午前10時30分「朴大統領が海洋警察庁長に電話し『特攻隊を投入してでも人命救助に最善を尽くすこと』を指示」し、「当時、海洋警察は10時24分にすでに特攻隊を投入しており、セウォル号が傾いて乗客の脱出が不可能な状況だったが、大統領には報告されなかった」、「ミン・ギョンウク大統領府報道官が海洋警察庁長に対する指示内容をブリーフィングした」と主張した。しかし、監査院の報告などによると、自らの判断で出動した海洋警察特攻隊は午前11時35分に、出動指示を受けた木浦(モクポ)122海洋警察救助隊は昼12時15分にそれぞれ事故海域に到着したが、いかなる救助活動もできなかった。午後1時に最初の投入を試みたが、これも失敗した。国家機関などが明らかにした事実関係さえ、大統領府は3年が経った今でもまともに把握できていなかったのだ。

 朴大統領は当時、キム・ソクギュン海洋警察庁長に特攻隊の投入を電話で指示したとしながらも、通話記録は提出しなかった。すでに2014年、国会の国政調査特別委員会などで「朴大統領が電話をかけて指示したという時間と、ミン・ギョンウク報道官がこのような指示内容について説明をした時間が重なる」ことについて疑問の声が上がったが、大統領府は依然として“物理的に不可能な”主張だけを繰り返している。

 同日、セウォル号の遺族と市民の集いである「4月16日の約束国民連帯」は、「朴大統領の偽りをこれ以上聞いていられない。憲法裁は即刻弾劾を決定せよ」と要求した。

キム・ナムイル、チョン・ウンジュ、キム・ミンギョン、キム・ジフン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/778199.html 韓国語原文入力:2017-01-10 21:39
訳H.J(2626字)

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