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[寄稿]国連の夢と潘基文の夢

登録:2016-06-01 00:05 修正:2016-06-01 05:20
29日午後、慶尚北道安東の河回村を訪問した国連の潘基文事務総長(中央)と夫人のユ・スンテク氏が西涯・柳成龍宗家宅の忠孝堂で慶尚北道と河回村が用意した樹木を記念植樹している=安東/聯合ニュース

 1946年1月10日、英国ロンドンのウェストミンスターの中央ホールに51カ国の代表が集まった。これ以上戦争を繰り返してはならないという使命のもと、国際連合(国連)と呼ばれる国際機関の最初の総会を開催した。第一次世界大戦後に創立された国際連盟(League of Nations)は、国際協力を通じた戦争防止という人類の理想を実現できなかった。第二次世界大戦は、それ以前のすべての戦争を合わせたよりも残酷なものだった。しかし、戦争を防止し、恒久的な平和を達成しようとするユートピア的な夢を諦めることがなかった人類は、「国際平和と安全の守護、平等・自決の原則の尊重、差別のない人権と基本的自由権の尊重・奨励」の国際政治を実現する国際機関を熱望していたが、それがまさに国連だった。したがって、国連の第1回総会は、何よりも重要だった。国際社会の理想を実現するために、国連の充実化が急務だった。この第1回総会で、安全保障理事会と国際司法裁判所(ICJ)が設けられた。国際安全保障の重要な問題は、安全保障理事会を通じて協議するという多国間協力の夢を制度化し、国際法の厳密な権威と拘束力は、国際司法裁判所を通じて実現するという理想を現実化したのだ。

 また、国連の理想と権威を実務的に裏付けられる行政組織が必要だった。総会では国連の予算と行政に関する規定の整備を第5委員会に任せた。当時、国連の創設者たちは、行政組織の上級行政員を事務総長(Secretary General)と称しており、この役職の目的や業務の範囲、退任以降の進路まで明確にした。国連憲章第97条では、国連事務総長が「各国の活動を調和させる中心」にあるとして、政治的な地位を高めたが、第100条には「国際公務員としての地位を損なう恐れがあるいいかなる行動も慎む」という内容を盛り込んだ。これを基に、第5委員会は、国連事務総長に対する精密な但し書きを総会に提案する。事務総長は、特定の加盟国の利害に影響を受けたり、与えてはいけないという規定と共に、国連の利益のために行動すべきいう自己制限を明確にした。特に、国連が国家間の利害と誤解を調整する政府間国際機関になるべきだという理想を貫いていた第5委員会は、「事務総長が保有している加盟国の秘密情報が多くの政府を当惑させるかもしれない状況を考慮すべき」という点を明確にし、「退任後に加盟国政府の役職に就くことを慎むべきだ」と強く勧告した。これは1946年1月24日、国連事務総長の任期、報酬などと関連し、国連の最初の総会で満場一致で可決された国連決議案11(1)号だ。

チェ・ジョンゴン延世大学政治外交学科教授

 それから70年の歳月が流れた。国連が大国の利益を代弁するだけで、独自の影響力がないと主張する見解が依然として存在する。しかし、国際政治環境がいかに厳しくなったとしても、主権尊重、人権の向上、気候変動への対応、国際法の権威、紛争の調整、平和の維持、疾病の予防などの国連の夢は、以前には想像もできないほど強力なものになっている。過去70年間、国連にはこの夢を守ってきた8人の事務総長がいた。彼らは国連の第1回総会が可決した国連決議案11(1)号に違反していない。もちろん、事務総長の任期が終わってから、自国の大統領や首相になった人もいるが、平均5年が過ぎてからだった。

 世界は潘基文・事務総長の夢が何なのかを知りたがっている。彼の大統領選挙への出馬説が政界を揺るがしている。それを楽しんでいるような潘事務総長の夢と国連の夢はかなり異なっている。潘事務総長の夢が1946年に国連の夢を信じた人々を裏切るものでないことを願う。韓国外交が輩出した最高の外交官が、韓国政界に飛び込んで袋叩きに遭う姿は、悲しい光景になるだろう。

チェ・ジョンゴン延世大学政治外交学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2016-05-31 19:14

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/746199.html 訳H.J

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