登録 : 2016.05.27 01:48 修正 : 2016.05.27 07:15

国連の潘基文事務総長(左)が26日、済州西帰浦市の済州国際コンベンションセンターで黄教安首相との面談に先立ち握手している=西帰浦/連合ニュース
 国連の潘基文事務総長が25日、済州(チェジュ)で開かれた寛勲クラブの懇談会で、来年の大統領選出馬の可能性を強く示唆した。 4・13総選挙後、与党で「潘基文待望論」が急速に広がっている状況で、国連事務総長としての自身の高い認知度と競争力に自信をにじませた。しかし、その自信とは別に、潘氏が果たして私たちが直面している様々な時代のニーズに応える認識と能力を兼ね備えているのか、徹底した検証を経ねばならない。

 まず指摘したいのは、国連事務総長という地位は潘氏個人に与えられたものではないということだ。「韓国の順番」となった当時の事務総長の地位に、盧武鉉(ノムヒョン)政権では別の人を考えていていたが、候補となった人の一身上の都合で、潘氏に変わったのはよく知られている事実だ。したがって潘氏は、「事務総長になった」こと自体ではなく、その職務の遂行によって自らの存在価値を証明しなければならない。ところが「歴代最悪の事務総長の一人」と英経済誌エコノミストの酷評を挙げずとも、国際社会の評価はあまりよくない。国連の事務総長が大統領候補の最大の資格であるかのように掲げ、自分を過大に包装している印象を拭えないのも、そのためだ。

 潘氏は寛勲クラブ懇談会で「国民統合」をことさら強調し、統合を大統領選挙への挑戦のキーワードにする可能性も示唆した。しかし彼が生涯歩んできた道を振り返ってみると、国民統合にどれだけ貢献したか首をかしげざるを得ない。潘氏は彼を国連事務総長に推薦した盧武鉉大統領が死去した当時、弔問にも行かず、2、3か月後の2009年8月に済州平和フォーラム講演者として参加した際にも墓参することがなかった。与党の大統領選候補を念頭にした者としては賢い政治判断だったかもしれないが、国民統合とは程遠い姿だ。

 潘氏は1980年代、ハーバード大学研修生時代に、米国に亡命中の金大中(キムデジュン)元大統領の動向を報告したことについても「政府と国家のために観察・報告しただけだ」と積極的に釈明した。このような釈明は「魂なき外交公務員」としては素晴らしい言い訳かもしれない。しかし、当時の悲痛な時代状況を思うと、大統領になろうとする人にしては、あまりにも時代意識が欠けている。潘氏が今後乗り越えるべき道は、かなり険しいものになりそうだ。

(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力: 2016-05-26 18:54

http://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/745583.html訳H.J

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