公務員9級から忠清北道知事・ソウル市長に
親和力厚い行政の達人
行政官・秘書官に続き3度目の大統領府入り
「朴正煕大統領は飢える農村の変化に執念」
朴大統領、父との縁を考慮か
次期大統領候補の潘基文国連総長と同じ清明会
「忠清大望論」に火をつけ国政掌握との解釈も
忠清道出身が党・大統領府の要職掌握
朴槿恵(パククネ)大統領が15日、新任の大統領秘書室長に70代の正統行政官僚出身の李元鐘(イウォンジョン)地域発展委員長(74)を選任した。許泰烈(ホテヨル、71)、金淇春(キムギチュン、77)、李丙ギ(イビョンギ<ギ=王へんに其>69)室長に加え、現政権に入り4人の秘書室長はみな、60代後半以上の行政・法曹官僚が選ばれることになった。
新秘書室長の李氏は「すべてに円満で無難に仕事を処理する安定的な人物」というのが周辺の評価だ。李氏は幼い頃は松の木の皮で飢えを凌ぐほど貧しい家庭に育ったが、ソウル市長や忠清北道知事を経て、権力のナンバー2と呼ばれる大統領秘書室長にまで上り詰めた。故郷の忠清北道提川の高校を卒業してソウルに上京し、1963年に逓信部の9級公務員として社会生活を始めた。昼は重い革のカバンを持ち歩いてソウル市内の公衆電話のコインを回収し、夜は夜間大学に通った。1966年に行政試験に合格し、ソウル市庁の事務官として第一歩を踏み出した後、ほとんどの公職経験をソウル市で重ねた。龍山、城東、江東、城北、東大門の5地域の区庁長を務め、1992年に忠清北道知事を務めた後、1993年にソウル市長として凱旋した。
1994年の聖水(ソンス)大橋崩壊事故でソウル市長職から退く試練を経験したが、地方自治制選挙を通じ華やかに復活。1998年と2002年に、それぞれ自民連とハンナラ党所属で忠清北道知事に当選した。官選まで合わせて3回に忠清北道で道政を導いた。
李氏はこれで大統領府で働くのは3度目になる。朴正熙(パクチョンヒ)大統領時代にはセマウル運動担当の行政官として働いており、盧泰愚(ノテウ)政権では大統領府の内務行政秘書官だった。李氏は2014年のメディアとのインタビューでセマウル運動事業を回顧し、「朴正熙大統領には、生きていくのも辛い飢えた農村を変えなければならないというものすごい執念があった」、「毎朝大統領が一晩悩んだ跡が文章や図で表示されたメモが下りてきて、そのメモを受け取り熱心に研究したことがある」と語っている。
また、「かつてのセマウル運動方式は今は合わないが、滔々と流れる基本精神は同じものがある。個人の成長や歴史の流れには断絶がない」とも語っている。李氏のこうした経歴が、今回も“父”との縁を重視する朴大統領の人事スタイルで作用したのではないかとも解釈される。
李氏が忠清道出身である点で、朴大統領が本格的に「忠清大望論」の火をつけ、政局を突破しようとしているとの政治的解釈も生んでいる。李氏は、与党の親朴槿恵派が次期大統領候補として目星をつける忠清北道陰城出身の潘基文(パンギムン)国連事務総長と同じ忠清出身の高位公職者の集まり「清明会」の会員だ。セヌリ党の鄭鎮碩(チョンジンソク)院内代表は忠清南道公州出身で、同日にセヌリ党の革新委員長に抜擢された金容兌(キムヨンテ)議員は大田(テジョン)市出身だ。党と大統領府の要職を忠清道出身者が掌握した形だ。総選挙の結果、票田だった嶺南(ヨンナム)まで揺らいでいる状況で、忠清道は国政運営の新しい動力に作動すると分析される。
韓国語原文入力:2016-05-15 22:38