エチオピア参戦老兵ブルチャ氏の最後の願い
「暖かい一日」情報提供を呼びかける
「当時は米軍傘下の部隊だったから、その子は私たち(エチオピア軍)を黒人の米軍兵士だと思っているかもしれません。だけど、7〜8歳までの3年近く一緒に過ごしたから、写真を見たら、思い出すでしょう。死ぬ前にぜひ会いたいです」
今年の2月中旬、後援金を届けるために、エチオピアのアディスアベバにある朝鮮戦争参戦勇士協会と参戦勇士村を訪れた韓国の「暖かい一日」訪問団は、ブルチャという名前の老兵から意外なことを頼まれた。 約60年前に生き別れた韓国人孤児の少年を見つけてほしいということだった。ブルチャ氏は1951年の朝鮮戦争当時、エチオピアの第1次ガンニュ部隊員として最初に参戦し、3年近く従事した。その年の冬、ソウル永登浦(ヨンドンポ)を通っていた彼は、道端で銃弾を受け死んでいる母親のおっぱいを加えたまま泣いている男の子を発見した。彼は子供を加平(カピョン)に駐留していた部隊に連れてきて、切り詰めた軍服を着せ、同僚隊員たちと共に孤児を育てた。休戦後、帰国することになった彼は子供を軍部隊の中にあった孤児院に預けた。
今年84歳の彼は「たぶん70歳ぐらいなったその子、名字がパクだった少年に再び会うことが最後の願い」だと言いながら、大事にしてきた写真数枚を取り出して見せた。別れる時に撮ったという色あせた白黒写真には、20歳の美男子だったブルチャ氏と仲間たちが兵舎の中で子供と一緒に撮影した様子や、兵舎の外で両手を腰につけて立っている少年の姿などが写っていた。
その後、米7師団所属のエチオピア部隊で唯一の韓国人軍務員として働いていたユン・ジョンワン氏(83)は、「ブルチャ氏と何人かの隊員が面倒を見ていた子供がいたが、名前が『パク・ドンファ』だった」ことを憶えていた。しかし、彼はドンファ君がその後どこに行ったのかはわからないと話した。
「暖かい一日」のキム・グァンイル代表は「毎日80万人の会員に発送するウェブマガジンなどを通じてブルチャ氏の願いを広く知らせて、ドンファ君を見つけたら、ブルチャ氏を韓国に招待し、再会する機会を設ける計画」だとしながら、情報提供に期待を寄せていた。
韓国語原文入力:2016-04-05 18:54