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[フォト]新たに建てるセウォル号遺族の見張り小屋

登録:2016-03-28 01:41 修正:2016-03-28 07:36
引揚されるその日を待って「常識を求める闘い」

 「常識を求めるために闘う。 非常識な世の中で、極めて常識的なことを求めるために闘わなければならないというのが、実に……」 2年5組の「大きいコヌの父さん」キム・グァンベ氏は全南珍島(チンド)郡鳥島(チョド)面東巨次島(トンゴチャド)に行く船の上でこの言葉を繰り返しながら穏かな海を眺めた。 11日、珍島郡臨淮面ペンモク港。身を支えられないくらいの激しい風と高い波で三日間欠航した船が、この日出航した。早朝からずらっと並んだ車両の列は優に100メートルを超え、島に行こうとする人々で港はごった返した。 珍島ペンモク港から東巨次島まで旅客船で2時間30分かかる。 セウォル号4・16家族協議会は東巨次島の島のてっぺんに事故現場を見守ることのできる見張り小屋を去年9月に建てた。 惨事の現場までは約 1.6キロの距離で、近くもあり果てしなく遠くもある。肉眼でも現場が見えるが、詳細な引揚作業状況は手順を決めてカメラと望遠鏡で観察し時間別に細かく日誌を付ける(訳注:2014年11月水中捜索中断の決定の際、海洋水産部長官は「引揚の全過程を家族の方たちと相談し、一緒に進めていく」と約束した。しかし海洋水産部はその約束を反故にして被害者家族と特別調査委を排除したまま、非公開で引揚作業を進めている。その結果、家族協議会は已む無く一番近い島の上に見張り小屋を建て、望遠鏡で作業を見守っている)。 クラス別に3~4人の親たちが組んで 1週間ずつ見張り小屋のテントで寝食を解決する。 これで4度目だというキム氏は「二度と海に出る事はできないように思ったけれども、こんなふうに何度も通うようになるんですね」と言い、「(生徒たちが)船の外に出さえすれば、島までこんなに近いんだから、どんなにしてでも来られただろうに」と長い溜息をついた。

4坪大の既存の天幕は、大雑把に立てた柱にビニールを張り巡らし、風で飛ばされないようにロープで縛った程度だ。 珍島/イ・ジョングン記者 //ハンギョレ新聞社

 4坪大の既存の天幕は、大雑把に立てた柱にビニールを張り巡らし、風で飛ばされないようにロープで縛った程度だ。 社会関係網サービス(SNS)を通してこれを見たチョン・ジンフン牧師とソウルハウジングのキム・ヨンマン代表が資材を寄付し、ドームテントを新しく作ることにした。 ソウル麻浦にあるソンミ山学校の教師と生徒、釜山にある劇団ディアコノスの俳優たちが力を添えた。キム代表は「誰でもみな参加したい気持ちを持っているでしょうけれども、今回は私がともにする機会を与えられたようです」と言い、「構造物の完成に時間がかかると思ったけれど、若い人たちが参加してくれて容易に仕上げとなりそうだ」と、参加したボランティアたちに功を譲った。 写真の上方にセウォル号引揚会社である中国の上海サルベージの作業船と現代ポリョン号(韓国最高のバージ船)が流失防止のための四角のフェンス作業などをしている。 引揚チームは7月末までに陸上に引き揚げる作業を終える計画だ。 半月余り経てばまた4月だ。2年前と変わりなく、東巨次島の村から見張り小屋に至る20分余りの山道には椿が咲いて散り、まばらにつつじが咲いていた。 風は静まり波は穏かになって、春の日ざしのもとにメンゴル水道の沖合には銀色のウロコの波が立っていた。 12日、無人飛行機を飛ばせて撮影した。

珍島/イ・ジョングン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2016-03-13 20:35

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/734735.html   訳A.K

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