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済州海軍基地竣工…江汀村「9年の抵抗」は平和運動へ

登録:2016-02-27 00:26 修正:2016-02-27 08:03
26日午後、済州道西帰浦市の済州民軍複合港(済州海軍基地)で竣工式が開かれ、停泊していたイージス艦が祝砲を撃っている。海軍基地は艦艇20隻余と15万トン級のクルーズ船2隻が同時係留できるよう設計された =西帰浦/イ・ジョンヨン先任記者//ハンギョレ新聞社

凄絶に戦ってきた村人は虚脱 
「阻止できると信じていたのに…」 
「従北」の汚名に数十億円の損害賠償請求まで

反対運動を平和運動に昇華させ
「住民の涙はまだ乾かない
私たちの村が平和のアイコンになることを」

 済州(チェジュ)民軍複合港(済州海軍基地)が26日竣工した。 2007年に韓国政府と済州道が西帰浦市江汀(カンジョン)マウル(村)を海軍基地建設地に確定してから9年だ。 政府は国家安保事業であることを前面に掲げ一方的に基地建設を強行し、これに対抗した江汀マウルの住民と活動家の抵抗は凄絶だった。 農作業と漁労作業しか知らなかった住民たちは、国家安保事業を妨害する「従北勢力」という非難を浴びせられた。

 「足かけ10年だ。初めは基地建設を阻止できると思った。 基地が竣工したのを見て虚脱感に襲われる。 闘争して苦労したことに対する悔しさ、政府と官、軍に対する不信と敵がい心が住民たちの心に残っている」。チョ・ギョンチョル江汀マウル会長(59)はこう話した。 住民たちの政府と軍に対する不信は相当期間続くと思われる。

26日未明、海軍基地工事現場の入口で江汀マウル住民と市民団体会員が沈黙デモをしている間、喪服姿の住民が三歩一拜をしている =西帰浦/イ・ジョンヨン先任記者//ハンギョレ新聞社

■ 「これで終わりではない」…平和運動に発展させる

 この日、済州海軍基地が完工したことにより、住民の海軍基地反対運動はこれで全て終わりになるのだろうか。

 住民たちは虚しいと言いながらも「基地が完工したからと言って終わったわけではない」として、基地反対運動は平和運動に発展していると説明した。 竣工式が開かれたこの日午後1時、海軍基地正門の向い側に立つ忠魂碑の前では、マウル住民と活動家が「生命平和文化の村、江汀」を宣言した。

 住民たちは宣言文を通じて「今までもそうだったように江汀は生命と平和の文化がうねる村として生きていくし、生命と平和を愛する人々の故郷になる」と宣言した。 済州軍事基地反対汎道民対策委員会のホン・ギリョン執行委員長は「住民たちの涙はまだ乾かない。 基地建設阻止がシーズン1だとすれば、シーズン2は平和運動をどのように展開するかだ。 江汀マウルは平和のアイコンになるだろう」と話した。

 江汀マウル海軍基地反対対策委員会のコ・グォンイル委員長(53)も「未来の世代の平和への感受性を育て、自然を愛する心を持てるようにする。 平和に関連した文化芸術活動を発展させる」と話した。

 カトリックの生命平和ミサも続いた。 この日午前、海軍基地前で開かれたミサでキム・ヨングン神父は「これからは本格的に平和運動を始める。 軍事文化に染まらないよう警戒し、生命平和を愛そう」と訴えた。 ムン・ジョンヒョン神父は「9年間、江汀を訪ねてきた人々のことを考えてみなさい。 すでに江汀の基地反対運動は平和運動に発展している」と話した。

 海軍基地の正門前にはカン・ウイル主教(天主教済州教区長)が2011年に生命平和ミサで話した言葉が翻っていた。 「江汀よ、あなたはこの地で一番小さい村だが、あなたから全国に平和が広がり始めるだろう」

2014年5月、海軍基地建設阻止運動で罰金刑を受けた平和活動家が江汀村に賦課される過度な罰金を糾弾して自主労役を決議する記者会見をソウル中央地裁前で開いている//ハンギョレ新聞社

■連行、裁判、罰金…イバラの道の基地反対運動

 2007年4月、江汀マウル会が当時のマウル会長ユン・テジョン氏ら一部の住民だけが参加した臨時総会で海軍基地誘致決定を下すと、済州道と国防部は待ってましたと一瀉千里に基地建設の手続きを進めた。 後にこれを知った住民たちが反対対策委員会を設け、同年8月にはマウル会長を解任し、カン・ドンギュン氏(59)をマウル会長に選出した。 カン会長は海軍基地に対する賛否を問う住民投票を行い、圧倒的な反対票が出ると本格的に反対運動を展開した。

 基地建設を巡る9年間の闘争は住民たちを闘士に育てた。 基地建設反対運動で延べ700人余に及ぶ住民と活動家が警察に連行され、裁判に付され賦課された罰金だけで3億7970万ウォンに及ぶ。 建設会社は住民と活動家の反対で工事が遅れたとし数百億ウォンに及ぶ賠償金を海軍に請求し、海軍は求償権行使の手続きを進めているという。

 コ・グォンイル委員長は「9年間も戦ってきたことを誇りに思う。 たとえ海軍基地ができても、私たちはこれまで通り江汀マウルを守って生きていく」と話した。

2105江汀生命平和大行進に参加した人々が昨年7月27日から8月1日まで済州市庁を出発して海軍基地建設現場の江亭村まで歩いている=済州/キム・ポンギュ記者//ハンギョレ新聞社

■賛否葛藤で傷ついたマウル共同体

 政府と海軍が軍事基地建設地を済州に決定し建設を推進したことは多くの社会的論議と共に韓国内外の関心も呼び起こした。 1948年に済州4・3事件が勃発して以来、初めて済州以外の地域から大規模な警察力が江汀マウルに投入され、住民が激しく抗議した。 政府と保守メディアは済州基地建設に反対する住民や活動家を「従北勢力」に追い立てた。

 2009年8月には当時のキム・テファン済州知事に対する住民リコール投票まで実施された。 米国の著名な革新系学者のノーム・チョムスキー氏が基地建設反対の立場を表明し、『プラトーン』でアカデミー賞を受賞した米国の映画監督オリバー・ストーンも江汀マウルを訪問したし、外信も済州海軍基地問題を集中的に報道した。 済州海軍基地を扱ったドキュメンタリーなども多く作られた。

 海軍基地が完工したこの日、江汀マウルの住民たちは基地建設を巡る村内の賛否葛藤で傷ついたマウル共同体を心配していた。 ある住民は「今年の旧正月にも村の合同新年挨拶行事に海軍基地に積極的に賛成する住民たちは来なかった」と話した。 コさん(82)は「人口が増え静かだった村が騒々しい村になるだろう」と心配した。

2105江汀生命平和大行進に参加した人々が昨年7月27日から8月1日まで済州市庁を出発して海軍基地建設現場の江亭村まで歩いている=済州/キム・ポンギュ記者//ハンギョレ新聞社

 チョ・ギョンチョル江汀マウル会長は「海軍軍人の父親と島に来て転校してきた生徒から、村のある小学生が『私たちは(敵対的な一族である)ロミオとジュリエットだ』と言われたという話を聞いて、とても苦々しく思った」と話した。 チョ会長は「政府と海軍が住民間の葛藤を助長しているが、時間が経てば自然にしこりが解けるだろう。 9年間に積もった沈殿物が一気に解けることはないではないか」と語った。

済州/ホ・ホジュン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
2105江汀生命平和大行進に参加した人々が昨年7月27日から8月1日まで済州市庁を出発して海軍基地建設現場の江亭村まで歩いている=済州/キム・ポンギュ記者//ハンギョレ新聞社
2105江汀生命平和大行進に参加した人々が昨年7月27日から8月1日まで済州市庁を出発して海軍基地建設現場の江亭村まで歩いている=済州/キム・ポンギュ記者//ハンギョレ新聞社

韓国語原文入力:2016-02-26 21:00
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/732346.html 訳J.S(2787字)

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