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朴槿恵外交3年 政権初期から「対北朝鮮協商派」排除、南北関係は強硬対抗で破局へ

登録:2016-02-21 23:32 修正:2016-02-22 08:19
ホン・ヨンピョ統一部長官が10日、政府ソウル庁舎で北朝鮮の核実験と長距離ミサイル発射に対応し開城工業団地の運営全面中断を発表している。ホン長官は昨年まで朴大統領の「統一大当たり論」を代弁してきた=キム・ソングァン記者//ハンギョレ新聞社

チェ・テソク教授の引継委員落馬が象徴的 
「朝鮮半島信頼プロセス」作動せず

 南北関係の「最後の安全弁」だった開城(ケソン)工業団地の閉鎖は、「朴槿恵(パククネ)印の対北朝鮮政策」の破綻を象徴する。 北朝鮮の4回目の核実験とロケット発射への対応だったが、朴槿恵政権のスタート時から予想された事態との分析が多くされる。

 初代統一部長官として有力だった梨花(イファ)女子大のチェ・テソク教授の突然の落馬は、この政権の対北朝鮮政策の核心である「朝鮮半島信頼プロセス」の“悲劇的運命”を見せる萌芽的兆しだった。 チェ教授が引継委員任命から6日後に辞退した背景を巡り諸説が入り乱れていたが、花も咲く前に散った事実自体が重要だ。 朝鮮半島信頼プロセス政策の樹立を主導したチェ教授は、対北朝鮮圧迫政策を批判した「対北朝鮮協商派」だった。

 チェ教授の落馬原因として「国家情報院介入説」が主に言及されるのも、南北関係破綻の背景を推察させる。 多くの専門家は朴大統領の認識の底辺には一貫して「北朝鮮崩壊論」があったと見る。 大統領をひきつけた北朝鮮崩壊論の背後には国家情報院がいるというのが定説だ。 開城工業団地の全面中断の根拠として提示された「開城工業団地賃金の核兵器転用論」も、国家情報院の未確認情報が土台になった。

 朴大統領は朝鮮半島信頼プロセスの稼動に積極的ではなかった。 大統領の過去3年間の発言がこれを傍証する。 朴大統領は「対北朝鮮抑止力構築」 「北朝鮮体制転換」 「北朝鮮内部の恐怖政治」を持ち出して北朝鮮を刺激した。 離散家族問題は強調するだけで対話に積極的に乗り出したことはない。

 これまで5~6回の南北宥和局面に食い込む機会があったが、どれも生かすことはできなかった。 戦略的ビジョンを立てて柔軟に接近することができず、短期的・即興的な名分攻防に終始した。 北朝鮮は2013年6月に当局会談を提案したが、韓国政府が北朝鮮首席代表の“格”を問題視して会談が失敗に終わった。 2014年2月の高位級接触も期待を集めたが、たった一度の離散家族対面に終わった。 脱北者団体の対北朝鮮ビラ散布を「表現の自由」と擁護した韓国政府の態度に北が反発したためだ。 2014年10月には北朝鮮のファン・ビョンソ、チェ・リョンヘ、キム・ヤンゴンなど「核心3人衆」が仁川アジア競技大会を機に訪韓し南北対話の期待を高めたが、韓国政府の反応は生ぬるかった。

 最後の機会は昨年の8・25合意だった。 合意の結果、離散家族の再会がなされて民間交流が活発になったが、8・25合意履行問題を議論した第1次南北次官級当局会談は決裂してしまった。 金剛山(クムガンサン)観光の再開に関連する異見が理由と言われたが、韓米首脳が10月に会談で「北朝鮮核問題を最高の緊急性と確固たる意志で扱う」として、対北朝鮮圧迫強化方針を明らかにしたことが根本原因とする指摘が多い。 南北、朝米対話の脱出口が見られないと判断した北朝鮮は、4回目の核実験とロケット発射を強行した。 朴大統領は対北朝鮮拡声器放送再開、開城工業団地全面稼働中断など“対決的正面対抗”で応酬した。 そして南北関係が破綻した。

キム・ジンチョル記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/731384.html 韓国語原文入力:2016-02-21 20:53
訳J.S(1501字)

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