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歴史教科書の北朝鮮公式名称まで問題視...平和統一の基調揺るがす

登録:2015-11-14 01:57 修正:2015-11-14 05:44
国定化で高まる対立的な対北朝鮮観
雨降る13日午前、ソウル中区ファイナンスセンターの前では「民主主義国民行動」メンバーらが「歴史のクーデター阻止・セウォル号真相究明・民主民生守護のための時局座り込み」を行っている。座り込みは14日の「民衆総決起大会」で終わる予定だ=イ・ジョンヨン先任記者//ハンギョレ新聞社

 「南北は互いに相手の体制を認めて尊重する...南北は、相手方に対する誹謗、中傷をしない」(南北基本合意書、第1条・第3条、1991年盧泰愚<ノ・テウ>政権)

 「南北関係の実状を正しく知らせるべき歴史教科書が、北朝鮮の軍事挑発とそれに伴う韓国国民の犠牲は最小限に記述することで、北朝鮮の侵略野望を隠蔽し、希釈させています」(黄教安<ファン・ギョアン>首相、今月3日の国定化確定告示に関する対国民談話)

 黄教安首相の今月3日の発言は、5大国政基調として「平和統一の基盤構築」まで掲げた朴槿恵(パク・クネ)政権の表向きの立場とはかけ離れている。平和統一どころか、戦争を通じた北進統一論が勢力を伸ばしていた1950年〜1960年代の冷戦時代の“反共主義”に近い。2017年に普及される予定の国定歴史教科書に反北朝鮮的で反統一的な記述が強化されるのではないかという懸念の声が高まっているのも、そのためだ。

 国定化の推進過程で、朴槿恵大統領と金武星(キム・ムソン)セヌリ党代表、国定化に賛成する一部の極右勢力は、「朝鮮民主主義人民共和国」という北朝鮮の正式名称を使うことすら「北朝鮮を美化すること」だと非難した。しかし朝鮮民主主義人民共和国は、北朝鮮が1991年9月、韓国と一緒に国連に同時加入する際に使った公式国名だ。国連に同時加盟してから3カ月で、南北は「互いの体制を認めること」を第1原則とする「南北基本合意書」を発表し、以降、紆余曲折はあったが、「互いの体制を認めること」は、平和統一の大原則とされてきた。

 したがって、統一のパートナーである北朝鮮の公式国名まで教科書で使わないように統制するのは、事実上、南北和解・協力以前に時代に戻ることを意味すると指摘する声もある。実際、朴正煕(パク・チョンヒ)政権と全斗煥(チョン・ドゥファン)政権時代に刊行された国定歴史教科書は、1948年に樹立された北朝鮮政府を「共産傀儡国家」「ソ連傀儡政権」などと蔑んだ。イ・ドンギ原州大学史学科教授は、「北朝鮮が独裁国家という事実を規範的に批判することは必要だ。ところが、北朝鮮の存在や意味自体を否定することで、排除し、敵対的他者にする方法は、非常に反平和的なもので、朴槿恵政権が掲げる平和統一基調とも相容れない」と述べた。

黄教安首相、確定告示に関する談話 
北進統一論が勢力を伸ばしていた 
冷戦時期の反共主義に近い 

朴槿恵政権が掲げる 
平和統一とも大きな隔たり 

李明博政権から北朝鮮関連記述が退行 
「反統一情緒」植え付ける恐れも

 北朝鮮に対する敵対的認識は、国定歴史教科書にそのまま反映されるものと見られる。すでに李明博(イ・ミョンバク)政権以降、2回の歴史教育課程の改正を通じて、歴史教科書における北朝鮮関連記述は少しずつ退行してきた。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代当時に発表された2007年改訂教育課程(歴史)は「南と北に政治・経済的に異なるシステムが根付いたことを把握する」など客観的、中立的な記述を誘導しているが、李明博政権の2009年改訂教育課程は、 「北朝鮮の世襲体制と経済政策の失敗、国際的孤立に伴うシステムの危機と北朝鮮住民の人権問題などを記述する」というふうに、北朝鮮体制の問題点を具体的に記述することを提案した。朴槿恵政権の2015年改訂教育課程はさらに踏み込み、「北朝鮮の3代世襲、核問題、軍事挑発(天安艦事件、延坪島砲撃挑発事件など)など」を言及するように明示した。

 北朝鮮に対する認識と統一に対する認識はコインの両面のようなもので、北朝鮮に対する否定的な記述から生まれる「反統一情緒」を懸念する声が高い。韓国教育開発院で統一教育を長く研究してきたハン・マンギル興士団教育運動本部常任代表は、「北朝鮮に対して否定的な側面を強調するか、和解・協力的な側面を強調するかによって、青少年の統一意識にも影響を及ぼす」と指摘した。実際、統一教育協議会の「2014年青少年統一意識調査」の結果によると「統一が必要」(77.2%)と答えた学生が多数だったが、普段から北朝鮮を「否定的に捉えている」という回答した学生も70.8%に達した。学校で統一教育を担当する歴史教師は「最近の子供たちは統一が必要だとしても、平和統一の正当性よりも経済的利益を中心に考えている。子供たちに北朝鮮に対する否定的な認識とそれに基づく吸収統一論理を主に伝えた結果だと思う」と語る。

 北朝鮮の憲法や主体思想を取り上げた北朝鮮の資料を引用したことすら「北朝鮮を美化している」と非難するのは、西ドイツが1972年に「互いの体制の認定」に基づいて和解・協力の時代に入った後、東ドイツに対する歴史記述に比べても、かなり遅れたものだ。1980年代に出版された東西ドイツの歴史教科書の相互記述を比較した論文(イ・ビョンリョン「東西ドイツの歴史教科書に現れた東西ドイツの国と体制」)によると、西ドイツの教科書は、東ドイツの憲法前文あるいは東ドイツの歴史教科書の内容まで直接引用して教えた。東ドイツの非民主主義的抑圧的な体制として記述しながらも、ナチスの清算や土地改革が西ドイツよりもはるかに進んだ点や、女性の地位や公共住宅問題などの肯定的な面も認めた。イ・ドンギ教授は「大韓民国社会・政治・経済体制の内容を肯定的なものとして記述できなくなった状況で、北朝鮮をより悪い他者に設定し、ネガティブな方法で正当性を確認しようとすること」だと指摘した。

チン・ミョンソン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力: :2015-11-13 19:37

https://www.hani.co.kr/arti/society/schooling/717383.html 訳H.J

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