登録 : 2015.10.24 04:20 修正 : 2015.10.24 06:04

雄貴氏の「ルーツ探しの旅」(下)

■韓国語初級教本、遺品の秘密

 2人の叔母から聞いた家の話をまとめると、こういうことだった。祖父のシン・ソクチュン氏は前妻との間に4兄妹(1男3女)を、日本で出会った後妻との間に4兄妹(3男1女)をもうけた。しかし、シン氏は、済州に残した子供たちの面倒はあまり見なかったという。子供たちを一人で育てていた前妻は、解放前後になくなり、4兄弟は自分たちの力で生き残らなければならなかった。なぜ祖父が韓国に残された子供たちの面倒を見なかったかは分からない。詳細を知る1番上の叔母(長女)は、数年前にこの世を去った。叔母たちは父親を一生恨んでいた。

 シン・オクラン氏は親族に対する愛情が大きかった。日本に異母弟がいることを知り、同胞社会を探し回った末に、会いたい一心で訪ねたそうだ。雄貴氏が憶えている「1997年秋の見知らぬおばさんの訪問」は、まさにシン・オクラン氏の突拍子もない訪問の結果だった。ただ肉親が恋しくて訪ねたが、苦労してたどり着いた弟は冷たかったし、シン氏はいまだその理由が理解できない様子だった。

 雄貴氏は母親から聞いた話をシン氏に伝えた。 「父は私たちが朝鮮人出身であるという事実に気づかないように育てようとしました。日本人として育たなければ、差別を受けずに成長できると思っていたようです。ところが、叔母が突然現れて、父はびっくりして、子どもたちに何も気づかれないように、急いで帰したそうです。そのことで本当に胸を痛めていました」。雄貴氏は叔母たちに跪いて深々とお辞儀をしながら謝罪した。「本当にごめんなさい」

 翌日の昼、下の叔母宅に招かれた。前々日の夕方には緊張感でよく眠れなかったが、この日はリラックスした様子だった。言葉数も増えた。下の叔母宅に到着すると、叔母のクムジャ氏は保管していた平山申)氏一族の族譜を取り出した。雄貴氏は平山申氏のシン・スンギョム将軍一族の36代目の孫で「シン・ウングィ」という韓国式の名前で族譜に載せられていた。シン・スンギョム将軍は高麗の開国功臣で、太祖王建から平山申氏の本貫を与えられた人物だった。927年、公山の戦いで王健の鎧を着て戦って戦死したという記録があった。「この私が武士の子孫だったのですか?」。彼の目が丸くなった。2番目の叔母は自分が仕方なく族譜を保管していたのだと言い、族譜を雄貴氏に渡した。雄貴氏は族譜を日本に持ち帰ると答えた。

 下の叔母は、2000年に雄貴氏の父親が訪ねてきた時のように、アマダイ焼きを作ってくれた。「弟、たくさん食べなさいね」。雄貴氏は父親にかなり似ている。下の叔母は甥をしばらく弟と勘違いしたように言った。「私たちがあれこれ見物をさせてあげても、あなたのお父さんはあまり喜ばなかったの。苦しそうに胸を叩くだけだった。韓国語が全く分からないから、『姉さん』という言葉だけ繰り返していた。今度韓国に来る時は、必ず韓国語を覚えてくると言っていたのに...」

 父親は朝鮮人を蔑みながら息子を育てた。勉強をしなかったり、父親の気に入らないことをした場合は、「この朝鮮人みたいな奴」と叱られた。それが何を意味するのかよく分からなかったが、誰かを差別する言葉であるのは感じ取っていた。そんな父親が老年にこっそりと韓国語を学んでいたなんて…。「実は父の遺品から韓国語初級教本が出てきました。なぜそのような本があるのか不思議でしたが、そんな事情があったんのすね」。雄貴氏は父親の最後の足跡を叔母から確認して、気持ちが重くなった。

 家族とは、肉親とは、そして民族とは何なのか。疎通が断絶され、誤解が積り、わだかまりや不信が大きくなる。そうするうちにも会って話をすると凍り付いた壁は溶けて、対立していた2人はお互いを抱きしめる。頭の中は混乱していたが、胸は熱くなった。下の叔母は昨日とは違って、「どんなに苦労したことだろう...」と雄貴氏の父親を恨まなかった。雄貴氏は「マシッソヨ(おいしいです)」を繰り返しながら、叔母が作ってくれた料理を平らげた。

雄貴氏が済州涯月邑近くの野山に作られた祖父の墓を訪れ、下の叔父の隣でお辞儀をする=ホ・ジェヒョン記者//ハンギョレ新聞社
 彼らはこの日の午後、雄貴氏の祖父の墓参りをした。済州市涯月(エウォル)邑の近くの小高い山に墓が建てられていた。韓国式で跪いて2拝のお辞儀をしてから、立ち上がって深々と頭を下げた。叔母は甥が滞在しているゲストハウスを取り払い、済州市のホテルに部屋取ってくれた。夜遅くまで、彼らは食事を共にしながら楽しいひとときを過ごした。

■「在日朝鮮人」と呼んで欲しい

 夜遅くホテルに戻ってきた。 雄貴氏は「解放!」と言いながら笑った。 「こんな風に済州で見つかった家族といろいろと話ができてうれしいです。家族に対する文化が日本とは大きく異なるようですね。私は国籍の違いとか、そんなことが気になって不安だったんですが、韓国の家族は『私たちは家族』としか言いません。ちょっと怖い顔をしていた下の叔母も1日で優しくなりましたし。ただ、私達の家族のストーリーが(4・3抗争や日本の強制移住などの)現代史の痛みを共有しているのかどうか、確認できなかったから、記者さんが失望したのではないか心配ですね」

 とんでもない。彼の話は、韓国社会の多くの異邦人の子供たちに勇気を与えるだろう。韓国には日本社会の在日朝鮮人のように、言葉では言い表せない差別の痛みを抱えて生きるマイノリティーがいる。解放以降の華僑の子供たちがそうだったし、米軍基地村のハーフの子供たちがそうだったし、東南アジアや朝鮮族の親を持つ今の子供たちがそうだろう。彼らも子供を生んだら、多分、親世代のルーツを自分の子供たちに隠すかもしれない。それが子供のためだと思うかもしれない。韓国社会は在外同胞たちが経験する異邦人としての痛みに共感しながらも、私たちの中に別の異邦人を作り、彼らの傷には無関心だ。

 雄貴氏に韓国人たちに言いたいことがあるかと尋ねると、彼はにっこり笑った。「皆さんも戸籍をぜひ一度直接取り寄せてよく見てください。自分が知っていた事実と異なることがあるかもしれないから!」

 翌日の昼、雄貴氏は日本へ帰るために、済州空港の外国人の出入国審査台の前に立った。「日本にガールフレンドがいます。一緒に住みたいですが、ガールフレンドの両親の許可を取らなければなりません。私が在日朝鮮人であることを説明しなければならないですが、その方たちがどう受け止めてくれるのか、分かりません。私は『在日韓国人』や『在日同胞』と呼ばれたくないです。『在日朝鮮人』と呼んでほしいです。なぜなら『韓国』という言葉は国を意味しますが、『朝鮮』は朝鮮半島に住んでいたその民族を言う言葉じゃないですか」

 彼は苦労して韓国の家族を見つけた。しかし、本当の困難な道のりは、日本で在日朝鮮人として生きていく、これからだろう。日本には在日同胞60万人が住んでいる。

済州/ホ・ジェヒョン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-10-23 19:52

http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/714278.html訳H.J

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