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[ルポ]済州島に来た父は韓国語を学ぶと言った(1)

登録:2015-10-24 04:16 修正:2015-10-24 07:52
雄貴氏の「ルーツ探しの旅」(下)
平山雄貴氏が2日、済州島に住む叔母シン・グムジャ氏(右)の家で上の叔母のシン・オクラン氏(中央)と共に平山申氏の族譜を見ている。雄貴氏は平山申氏の36代目の孫として「シン・ウングィ」という韓国式の名前で族譜に載せられていた=ホ・ジェヒョン記者//ハンギョレ新聞社

ある日本人青年の「ルーツ探しの旅」の話を先週お伝えしました。韓国の読者たちからは、雄貴氏を応援するコメントがたくさん寄せられました。一方、ハンギョレ日本語版記事を見た日本の読者たちからは、冷たい視線が注がれたそうですね。今日、2回目にお届けする話が、韓日両国の読者たちがお互いをより深く理解できるきっかけになれることを願っております。済州(ジェジュ)で叔母たちに出会った青年は、号泣して日本に帰りましたが、彼に何があったのでしょうか。彼の旅を一緒に辿ってみます。

 (前回の要約:日本人の平山雄貴氏(34)は、自分が在日朝鮮人の子孫(3世)であることを3年前に知った。子供が差別されずに育つようにと願うばかり、親はこの事実を隠してきた。10年前に亡くなった父は、何の記録を残さなかった。雄貴氏は自分のルーツを正確に知りたかった。3年間、日本の外務省などに通いながら、資料を集めた末、祖父の本籍が済州市翰林(ハンリム)邑帰徳(キドク)里ということを突き止めた。そして、先月末、韓国に住む自分の親戚を見つけようと済州を訪ねた。それだけの手がかりで雄貴氏は果たして家族に会えるのだろうか。

 雄貴氏が先月30日の夕方、済州空港に到着した時、すでに空は暗くなり始めていた。台風が北上するという気象予報のせいか、強い風が吹き荒れていた。風、女、石が多いと言われる済州島で、風だけはしっかり見物できそうだと冗談を交わした。彼はこの済州で必ず会わなければならない家族がいる。その人に出会えるかどうか、確信できない雄貴氏の胸の中でも風が吹き付けていた。

 「済州に来たら黒豚を食べなきゃ」。済州空港を出た雄貴氏は、自分の“ルーツ探しの旅”に同行した同僚のホ・ミソン氏(39)と一緒に焼肉屋を訪れた。雄貴氏は韓国語が全く話せない。ホ氏が通訳を務めてくれた。かなり大きくカットされた豚肉が鉄板でジュージュー音を立てていた。テーブルには、酸っぱい味のキムチがおかずとして並べられていた。肉が焼き上がる前に、彼はキムチを一皿平らげた。

 「私はキムチが大好きです。小学校3年生の時、祖母の家に遊びに行ってキムチを初めて食べました。当然韓国料理であることは知らずに食べましたが、『世の中にこんなに旨い食べ物があるなんて』と驚きました。すぐスーパーに行って、600グラム入りのキムチを買ってきて一人で全部食べました。喉が腫れましたよ。病院に行ったら風邪ではなく、キムチの食べ過ぎだと、医師が説明してくれました。母にひどく怒られましたが、心の底では『息子に朝鮮人の血が流れている』と喜んだことを後になって聞きました」

暴風の中で帰徳里の路地を回りながら 
さまよっていたところ、役場職員の助けで 
済州市に住む叔母のアパートを見つける 
長い間連絡が途絶えたことを悲しんでいた叔母 
すぐに甥の雄貴氏を抱きしめてくれた 

大事にしてきた族譜を渡した叔母 
雄貴氏は「平山申」氏36代目の孫だった 
祖父のお墓参りをしてから再び日本へ 
日本のガールフレンドの親に 
自分の“ルーツ”を説明しなければならない

■「昨日夜の夢に、あなたの父親が現れた...」 

 

 まだ親戚についての情報がない。数日前に日本の叔母からもらった済州に住む叔母の写真が全てだ。済州に住んでいた父親の平山ひろし(1947年生まれ)の異母姉のシン・オクラン氏(77)の写真だ。1997年秋にシン氏は突然、大阪の弟の家を訪ねてきた。父は家族に何の説明もなく、シン氏と写真一枚だけ撮って急いで彼女を帰した。幼い息子は、ぼんやりとその事件を覚えていた。

 翌日の日が明けるとすぐ翰林邑事務所を訪れた。役場職員は困り果てた。「持って来られた書類に書かれた『帰徳里1621番地』(祖父の本籍地)は、行政区域改編で今正確にどこなのか分かりません」。そういいながらも、職員はシン・オクラン氏が生きているかもしれないから、一度生存しているかどうかを確認してみると説明した。

 ただ待っているわけにはいかなかった。直接帰徳里一帯を歩きながら叔母を探し回ることにした。雨がしとしと降っていた。強い風が持っていた傘を激しく揺らしていた。

 「シン・オクランお婆さんという方をご存じないですか?カン・ビョンファさんという人と結婚して、ここに住んでいたと聞いていますが...」。小さな美容室に集まっていた住民たちは、質問に首を横に振った。「向こうにあるのが女性老人会長の家よ。そこに行ってみてください」。帰徳里の女性老人会長のホン氏(80)に会った。ホン氏も首を横に振った。「15年間ここの老人会長を務めているけど、そんな人は聞いたことがありません。シンという名字のお爺さんたちが何人かいたけど、今は皆亡くなりました」

 雄貴氏とホ・ミソン氏は数時間をさまよった末、再び翰林邑事務所に戻ってきていた。顔がますます暗くなっていった。「どうしよう?シン氏宗親会を訪ねてみましょうか?」。その時、翰林邑事務所の職員が訪ねてきた。「シン・オクラン氏は帰徳里ではなく、済州市内に住んでいます」。「生きてらっしゃるんですか!」。雄貴氏の大きな目から涙が零れ落ちた。

 雄貴氏は済州市に向かう車の窓から雨を降らしている済州の空を見つめていた。どのような出会いになるかまったく分からない。父と親戚の仲が良かったら幸いだが、その保障もない。心を引き締めた。手に握られたショッピングバッグが、彼の落ち着かない心境を察したように、車の揺れに合わせて音を立てていた。

 職員が教えてくれた住所に訪ねてみると、小さくて古びたアパートが雄貴氏を迎えた。ドアを叩いた。返事がなかった。沈黙の中で緊張感が流れた。1分くらい経ったのだろうか。 「どなたですか?」と中から小さな声が聞こえて、鍵のかかっていた金属製の扉が開いた。やせ細った小柄のお婆さんだった。写真の中の叔母がもう少し年を取った姿で雄貴氏の前に立っていた。

 シン・オクラン氏は甥であることをすぐに見抜き、雄貴氏の両手を握った。シン氏の4坪あまりの小さな部屋は、たちまち泣き声でいっぱいになった。「昨日の夜、夢にお父さん(雄貴氏の祖父)が出たの。弟(雄貴氏の父親)に似た人が私を訪ねてきて指輪をはめてくれた」。叔母の夢は、甥の訪問を予感したのだろうか。ホ氏の通訳を聞き、雄貴氏が目を見開いた。叔母は甥の手を握ってうつ伏せのまま、嗚咽した。

 「ところで、お父さんは?なぜあなただけが来たの?」「父は亡くなりました」。「いつ?」。「2005年に。自殺しました」。「アイゴ!どんなに苦労したことだろう」。シン・オクラン氏の連絡を受けて、下の叔母であるクムジャ氏(74)が訪ねてきた。彼女の表情はオクラン氏ほど明るくなかった。雄貴氏は父親が教えてくれなかった家の話を下の叔母から聞いた。

 「あなたのお父さんが2000年頃、こちらを訪ねてきたことがあるの。あなたと兄弟たちを申(シン)氏の族譜に載せて帰った。済州島に家族名義の土地が少しあったけど、それも分配を受けた。それから、私たちが電話すると冷たくあしらったり、しばらくしてからはまったく電話に出なくなった。韓国語を覚えて戻ってくると言っていたのに、何の連絡もなかったしね」。クムジャ氏の不満そうな顔は長くは続かなかった。「それでもこうして訪ねてきてくれたことは、言葉で言い表せないほどありがたい」。2人の叔母は甥を抱きしめた。甥はずっとハンカチで涙を拭いていた。

済州/ホ・ジェヒョン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-10-23 19:52

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/714278.html 訳H.J

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