登録 : 2015.08.13 01:57 修正 : 2015.08.13 08:14

 「14歳の時、中国で日本軍に対抗
 街頭宣伝も放送もした」
 祖父、父親に続いて独立運動
 「解放されたが、国が真っ二つに…平和統一されなければ」

女性独立活動家オ・ヒオク志士が12日、ソウルの大韓民国歴史博物館で開かれた「独立に向けた女性の英雄たちの行進」特別企画展で文在寅・新政治民主連合代表(右から)、金武星セヌリ党代表などとともに安重根義士の母親に関する案内文を見ている=イ・ジョンヨン先任記者//ハンギョレ新聞社
 国家報勲処に褒賞された女性独立活動家は248人いる。しかし、一般の人が覚えている女性独立活動家は「柳寛順(ユ・グァンスン)烈士」一人だけだ。 248人のうち、今も生存しているのは4人。

 その4人の中の1人であるオ・ヒオク志士(89)が光復(解放)70周年を3日後に控えた12日、老躯を押してマイクの前に立った。女性家族部、文化体育観光部、光復70年記念事業推進委員会の主催で、ソウル・鍾路(チョンノ)にある大韓民国歴史博物館3階の屋外展示場で12日から始まる「独立に向けた女性英雄たちの行進」という特別企画展の開幕記念記者会見だ。

 「後方では日本軍の悪行を街頭宣伝し、中国の重慶では放送もした」。当時十代半ばの少女だったオ志士が行った独立運動は心理戦だった。オ志士は1990年に建国勲章愛国章を授与された。満州で生まれたオ志士は14歳だった1939年に中国で韓国光復陣線青年工作隊に入隊し、日本軍の情報を集めて日本軍内の朝鮮人兵士の脱出に貢献した功績が認められた。

 オ志士の家は3代続けて独立運動に身を投じた。祖父のオ・インス先生は京畿道・龍仁(ヨンイン)の義兵長だった。父親のオ・グァンソン将軍は鳳梧洞戦闘など、中国各地で武装独立闘争に参加した。このような家風のため、オ志士は独立運動を当然の任務と思っていた。 「当時は大人に倣って当然やらなければならないことだと思っていた。大きくなるにつれ光復軍に志願し、国を取り戻すことを助けるべきだと思うようになった。国のない悲しみが身に染みていた。中国の子供たちに『高麗奴隷』とか亡国奴(国のない奴隷)とからかわれて喧嘩になることもあった」

 オ志士の母親と姉も独立運動をした。オ志士の母親は、武装闘争に参加した独立運動家たちを養うのに一食に12窯のご飯を炊き、日本軍に追われていた独立軍を匿ったこともあった。母親の独立運動は、死後に国の認定を受けた。オ志士は「母が亡くなって2年が過ぎた1995年になってようやく褒賞されたが、まだ胸のシコリとして残っている」と述べた。祖父が義兵活動をした京畿道龍仁遠三(ウォンサム)面には3代が抗日運動を行ったという石碑がある。

 この日オ志士は、他の3人の生存女性独立活動家のミン・ヨンジュ(92)、パク・ギウン(89)、ユ・スンヒ(90)志士らの拇印が押された「振り返る大韓独立女性宣言書」を受け取った。大韓独立女性宣言書は1919年にキム・インジョン、キム・スクギョンなど8人が発表した初めての大韓女性独立宣言書だ。

 「私たちは解放されたが、国が真っ二つに分離されたのが非常に残念だ。平和統一されなければならない」。オ志士が残した最後の言葉だ。17人の女性独立活動家に光を当てた企画展は23日まで続く。

ペク・スジ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-08-12 19:56

http://www.hani.co.kr/arti/society/women/704217.html 訳H.J

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