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ブラジルに渡った朝鮮戦争捕虜の数奇な人生が映画に

登録:2015-08-11 10:45 修正:2015-08-11 17:32
故郷の北朝鮮に行けず韓国に来たキム・ミョンボク氏
北朝鮮に行けず韓国に来たキム・ミョンボク氏=イ・ジョンヨン記者//ハンギョレ新聞社

15歳で人民軍徴集、1カ月後に戦争捕虜
第三国のプラジルへ行き61年ぶりに帰国

<海は、クレパスより濃く、青く、びっしり重なる鱗を、やっとの思いで寝返りを打ち、息をする。中立国へと向かう釈放された捕虜を乗せたインド船のタゴール号は、白いペイントが鮮やかに塗られた3千トンの体を震わせ、物でぎっしり詰まったような重苦しい東シナ海の空気をかき分け滑り出した>

 チェ・インフンの小説『広場』(1960)は、朝鮮戦争後に仁川(インチョン)港を離れ中立国のインドに向かう船から始まる。船には主人公のイ・ミョンジュンなど、本国送還を拒否し“第三国行き”を選んだ朝鮮戦争捕虜が乗っている。

人民軍に徴集されて1カ月で捕まり
南でも北でもないインドを経てブラジルへ

故郷を探す過程を描いた『リターン ホーム』
主人公として先月韓国に入国
「故郷の平安北道の地を死ぬ前に踏みたい」

若い頃のキム・ミョンボク氏=映画会社アチムヘノリ提供//ハンギョレ新聞社

 1954年2月の現実は小説と同じだった。朝鮮戦争当時、第三国行きを選んだ戦争捕虜77人(中国人含む88人)が仁川港で「アストゥリアス号」に乗り、インドに発った。このうちの55人がさらにブラジルへ、9人がアルゼンチンに移住した。キム・ミョンボク氏(80、写真)もその一人だ。

 キム氏は最近、故郷である平安北道の龍川(リョンチョン)を離れて65年、インドを経てブラジルに発ってから61年ぶりに韓国の地を再び踏んだ。「15歳の夏、学校で勉強していたら軍人が押しかけてきて、強引にみんなにトラックに乗れといったんだ。こうして“人民軍兵士”として徴集された。帰るのにこんなに長くかかるなどと誰が考えただろうか」

 10日、色褪せた記憶を思い出そうとするキム氏は視線を空に向けた。こうして参戦した朝鮮戦争は人生を根こそぎ変えてしまった。参戦から1カ月も経たず捕虜になった彼は、その後、釜山(プサン)から巨済(コジェ)、永川(ヨンチョン)、馬山(マサン)、中立地帯(板門店<パンムンジョム>)収容所まで、各地を転々として3年を過ごした。そして休戦になった。

 彼が一生聞かされてきた、そして自問してきたであろう質問を投げかけた。なぜ故郷のある北朝鮮に戻るか、韓国に残ることをしなかったのかと。しばらく間をおいてキム氏は、板門店収容所で体験したエピソードを語りだした。「あるテントで過ごした同僚が『故郷に行きたい』と寝言を言っただけで殴られて死んだ。真夜中に誰も知らないうちにこっそりと…。捕虜になること自体を罪とする北朝鮮も、故郷に行きたいと言って殴られて死ぬ韓国も、選択できなかった」

 彼は自分を受け入れてくれる国を待ち、インドで2年間留まった後、1956年にブラジルに行き、最も大きな都市サンパウロから1000キロ以上離れた“辺境の地”マトゥグロス州のクイアバに定着した。言葉さえ通じない辛い日々となったが、優しいブラジル女性と出会って結婚し、二人の息子と二人の娘を生んだ。畑仕事をしながら子供たちに大学教育まで受けさせた。

 「生きていくのがやっとで、心の中でしか故郷を想えなかった。『虎も死ぬ時は故郷を訪れる』というのに…。両親は亡くなったんだろう。5歳上の妹と2歳下の弟は、もしかしたら生きているだろうか? 毎週日曜日に通ったプピョン教会はまだ残っているだろうか? せめて故郷の地だけでも踏みたい」。こう話すとキム氏は涙を流した。むせび泣きは容易には収まらなかった。5年前に患ったデング熱の挿管治療の際に気道を痛め、うまく出せない声を絞り出し、こう話す。「悪いね…。すっかり老いてこんなざまだ。悪いね」

ブラジルの農場で働いていた若い頃のキム・ミョンボク氏。インドで撮られた若い頃のキム・ミョンボク氏=映画会社アチムヘノリ提供//ハンギョレ新聞社

 彼は今回の訪問の途に、ブラジルで死んだ同僚のキム・ソグク、キム・チャンオンの遺骨を抱いてきた。死んでも故郷に行きたいという願いを遂げてあげてほしいという家族の希望のためだ。だが、故郷へ行く道はまだ遠い。駐ブラジル北朝鮮大使館や駐北朝鮮ブラジル大使館はもちろん、韓国政府にも訴えてはいるが、どこも曖昧な返事しかしない。「もう時間がない。いつ死ぬかも知れないでしょ。今回は必ず奇跡が起きるよう願う以外に方法は…」。自身と同僚の生存捕虜の話を扱った映画が作られることが、それなりの慰めだ。チョ・ギョンドク監督が撮っているドキュメンタリー映画『リターン ホーム(帰郷)』だ。チョ監督は2009年、重症障害者の性的権利に関する問題を提起した『セックス ボランティア』がサンパウロ映画祭大賞を受賞し、授賞式のために訪ねたブラジルで生存捕虜の話に初めて接してから6年間、この映画製作に関わっている。

 キム氏はチョ監督と共に5月にブラジルを出発して、インド、アルゼンチンを経て7月末に韓国に入国しており、その旅程は映画にも使われる予定だ。「捕虜生活をした釜山、巨済、楊坪(ヤンピョン)に訪ねると、ほとんど忘れた韓国語も思い出され、故郷への思いももっと切実になってくる。13日には板門店に行くけれど、遠くからでも故郷の地を見れるだろうか」

ユ・ソンヒ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-08-10 22:19

https://www.hani.co.kr/arti/culture/movie/703852.html 訳Y.B

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