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[ルポ]3000日の悲しみを込めた歌「瑞草洞の占い屋」

登録:2015-05-01 10:02 修正:2015-05-01 11:03
コルト・コルテック解雇労働者の“音楽闘争”
解雇されたコルト・コルテック労働者の全国音楽旅行。彼らのバンド「コルベン」が26日、慶尚北道のスターケミカル工場の煙突上で座り込みを続ける労働者を訪ね公演している= 漆谷/キム・ポンギュ記者//ハンギョレ新聞社

 2007年4月9日はイ・イングン・コルテック支会長には忘れられない日だ。包装の仕事をしていた彼が、いつものように通勤バスに乗って出勤したところ、会社のドアがロックされていた。解雇労働者の人生が始まった日だ。それから3000日目なる今月20日、コルトおよび子会社のコルテックのギター製造労働者は、そのギター片手に全国の音楽旅行に出発した。

 珍島郡彭木(ペンモク)港、済州島江汀(カンチョン)村に立ち寄り、昌原(チャンウォン)、蔚山(ウルサン)、密陽(ミリャン)などで公演を開き、コルトとコルテックへの復職闘争を知らせる旅を続けた。

 29日午後7時、コルトとコルテックの労働者はソウルへの帰り道、京畿道楊坪(ヤンピョン)のトゥムルモリ協同組合のカフェ「トゥモリ台所」に寄った。李明博(イ・ミョンバク)政権の4大河川事業に対抗し3年4カ月も有機農地保存の戦いを繰り広げたトゥムルモリ住民たちは、それ以前から季節ごとにコルトとコルテックの座込みデモの現場に野菜や果物を送ってきた。この日もコルトとコルテックへの募金箱には農民が持ち込んだ果物やパン、薬草が集まっていた。

バンド結成し最高裁判決を風刺する自作曲
解雇3000日になった先月20日から
彭木港 江汀村、密陽を回り公演
「解雇されたおかげで料理や芝居」と苦笑い
9日にソウル普信閣で記念公演も

 アコーディオンとギターを持参した2人組バンド「オム・ボーカル」のキム・ソンスがショスタコーヴィチのワルツを演奏して始まった公演は、予想外に明るく愉快だった。「はした金」や「タンピョン船」などによる闘争歌でなく、慰労と連帯の歌を続ける間、住民40人が拍手で公演会場を守った。

 公演のピークはコルトとコルテックの解雇労働者が結成したバンド「コルベン」によってもたらされた。「勉強できなかったのが罪なのが、分かりやすく話してよ。未来の経営まで占う神がかりの巫女でもあるまいし」と辛らつに口ずさむ歌「瑞草(ソチョ)洞の占い屋」は、2014年6月に「近い将来に迫る経営上の危機も解雇理由になる」と会社側の手をあげた大法院(最高裁)判決を風刺したものだ。解雇されて生まれて初めてギターを演奏したコルトとコルテックの労働者が作った自作曲だ。瑞草洞の占い屋を作曲し、コルベンでは太鼓を叩くイム・ジェチュン氏は「料理、演劇にバンドまで、解雇されたおかげで、やらないことはない」と苦笑いした。その「やらないことはない」には6回の海外遠征デモ、40回の裁判、そして一人の労働者の焼身自殺まで含まれた。

 ギター製造会社のコルト楽器と子会社コルテックは、電気ギターで世界市場の占有率が30%にもなる企業だが、2007年4月、仁川(インチョン)市のコルト楽器労働者56人を整理解雇し、7月には鶏龍(ケリョン)市にあるコルテック楽器を偽装廃業、残る67人全員を整理解雇した。昨年6月、大法院が解雇無効訴訟を棄却したため彼らは“合法的な”整理解雇者になった。しかしコルトとコルテックの解雇者と彼らを支持する芸術家は「コル友コミュニティ」を作って戦いを継続させている。イ支会長は「ソウルに戻れば9日には普信閣で3000日フェスティバルを開く。5月からは市民団体と連帯してコルト・コルテックマンの解雇無効の戦いではなく、整理解雇撤廃のための社会的協議機構を構成する」と語った。音楽文化空間のクラブ「夢の工場」を作るために後援支援金も受けつける。

 同日の同じ時間、ソウル弘大前のクラブ「パン」には、音楽家が自発的に用意したコルト・コルテック水曜文化祭が開かれていた。2008年12月に始めて以来、1カ月も休まず開かれた文化祭の舞台には、今まで500人の音楽家が集まった。コルトとコルテックの労働者は30日、江原道・洪川(ホンチョン)でのゴルフ場反対文化祭に合流し、1日にソウルに行く。解雇されて3012日目になる日だ。解雇労働者の時間は重いが、一歩一歩確実に前へ進んでいる。

ナム・ウンジュ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-05-01 00:34

https://www.hani.co.kr/arti/society/labor/689304.html 訳Y.B

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