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コルト‘不当解雇’-コルテック‘破棄差し戻し’…最高裁 交錯した判決

原文入力:2012/02/23 17:37(3472字)

←窓もふさがれた工場でギター作りに没頭していたコルト・コルテック労働者バンド‘コルバン’が2011年12月28日ソウル弘益(ホンイク)大前のクラブ‘パン’で初公演をした。 この日の演奏は涙と共に流れた。 キ・ソンニム提供

事実上全く同じ整理解雇救済申請訴訟で、コルト-コルテック 正反対の結果
ソ・ギョンドン詩人 "5年も一緒に戦ってきたのに…納得できない判決"

 整理解雇以来5年に及ぶ残酷な歳月に耐えてきたが、判決文が出てくるまでの34分のほうがより長く感じられるようだった。23日午前10時、ソウル、瑞草区(ソチョグ)、瑞草洞(ソチョドン)の最高裁1号法廷で最高裁の判決文を逸る心で待ったパン・ジョンウン金属労組コルト・コルテック労組支会長など解雇労働者の顔には期待といらだちが交差していた。

 最高裁は事実上同じ事件に対して午前と午後で正反対の結果を出し、関連者を戸惑わせた。ギターを作るコルトとコルテックは使用者が同じ事実上一つの会社だが、法人が異なるため事件が二つに分かれて進行された。

 先にコルト。34分間にわたり他の100件余りの判決を下した後、最高裁判事の口からいよいよコルト解雇者らが提起した整理解雇救済申請行政審判上告審判決が下された。最高裁判事が「(株)コルトが上告した事件を棄却する」という短い判決文を朗読した瞬間、労組員の間からは短い歓声が溢れでた。

 事業主は去る2007年8月30日 "経営危機と労使葛藤" を理由に富平(プピョン)のコルト工場(エレクトリックギター生産)と大田(テジョン)のコルテック工場(アコースティックギター生産)を廃業し整理解雇を断行した。

 この日、コルト事件判決は原告の手を挙げた高裁判決(2009年8月)をほとんどそのまま受け入れたという点で意味が少なくない。 「整理解雇に必要な緊急な経営上の要件に該当しない」という法の審判が下されたのだ。 労組側の資料を見れば、富平コルト工場の場合、会社側が整理解雇手順に入った2006年の8億5千万ウォンの赤字を除いては92年以後 廃業時まで毎年3億~37億ウォンの黒字を記録するなど、1997年から2005年までの累積黒字だけで191億ウォンを記録した。

 「パク・ヨンホ社長が、インドネシアと中国工場に工場を移転し、労組活動を無力化した後に再び工場を開くための偽装閉鎖した」というコルト労組側の主張が法の審判でほとんど受容されたと見られる。

 しかし、4時間後に最高裁はコルテック解雇労働者が提起した同じ行政訴訟上告審に対して労組敗訴判決を下し事件をソウル高裁へ破棄差し戻しをした。 高裁で揃って勝訴した事案に対して午前と午後に正反対の審判を下したのだ。 午前の勝訴判決に浮き立った心を隠せなかった労組員は交錯した判決に複雑で息苦しい心情を隠せなかった。

 コルテック工場の場合も1992年設立以後、毎年黒字を記録した。2000年以後廃業時まで毎年67億5千万ウォン~115億ウォンの当期純益をあげ、1996年から2007年までの累積黒字だけで878億ウォンに達した。パン支会長は交錯した最高裁判決に対して「まだ判決文を受けとっていないので詳しいことは分からないが、コルテックの場合、コルトとは違い中央労働委で敗訴したことが原因ではないかと思う」と話した。

←23日、大法院勝訴判決の知らせに歓呼するコルト労組員。 写真キム・ドヒョン記者

 コルト・コルテック労組は行政訴訟で最終勝訴しても会社側が国内工場の廃業を理由に整理解雇労働者を復職させない場合に備えて、民事訴訟を提起した状態だ。 民事訴訟でも2009年9月高裁が労組勝訴判決を下し、現在最高裁判決が残っている。 今回の判決は民事訴訟にも影響を与えることになる。

 これに先立ち解雇労働者は涙を浮かべてパン支会長を抱きしめ勝利の喜びを分かち合った。 コルト解雇労働者であるイ・ミョンスク(53)氏は「去る5年間、パン会長をはじめ解雇労働者がとても苦労したが勝ってとてもうれしい」と話した。

 去る16日、記者の携帯電話に「待ちに待った時間であるものの、心はドキドキ、関心要請」と携帯メールを送り、法の審判を心配したパン支会長は第1号法廷の建物外で記者会見をする間、喉に詰まったようにしばらく話すこともできなかった。コルト・コルテック労組が整理解雇反対の戦いを始めて1848日、高裁判決で勝訴してから2年7ヶ月ぶりに完全に手にする勝利の感激はそれほど大きかった。

 パン支会長は「パク・ヨンホ社長と25年間一緒にいたので、彼の性格はよく知っている」としながら「一般的な経営者ならば高裁判決で敗訴すれば労組員らと妥協するはずなのに、彼は上告をするなど最後まで労組員を受け入れなかった」と話した。彼は「パク社長は資本金200万ウォンで事業を始め、現在世界市場の30%を占めるほどの大きな企業に育て、本人も1000億台の資産を保有しているにも拘らず、会社が苦しいと言って工場を偽装廃業した」と非難した。

 パン支会長は解雇以後、生計を看病人の仕事をしている夫人に任せ、動揺することなく去る5年間にわたり労組を引っ張ってきた。彼は「この間いやな顔ひとつしなかった夫人に感謝する」と語った。

 整理解雇の撤回を叫んで金属労組傘下事業場としては最長期間である5年間の長期闘争初期である2007年12月11日、からだに引火性物質を浴びせ焼身自殺を図ったイ・ドンホ コルト労組事務長は両親の引き止めにも関わらず最後まで闘争の中心に立ってきた。 イ・イングン コルテック労組支会長は命をかけた送電塔高空籠城とハンスト座り込みを率いて、今は自らギターまで習って労組員バンドを率いて希望を歌ってきた。

 詩と言論寄稿文を通じて永くコルト・コルテック解雇労働者を支援してきてこの日の判決を見守ったソン・ギョンドン詩人は、午前の判決に「当然の判決」として喜び、午後に正反対の判決が下されてくると「誰か見ても納得できない判決」と声を高めた。

 ソン詩人は「同じ事件で5年間一緒に戦ってきた事案に対して午前には不当解雇、午後には破棄差し戻し判決を下せば、誰が納得できるか」と反問し「最高裁の威信が問題になるのではないかという気がする」と話した。

 しかしソン詩人は「明白な不当解雇なので高裁で再び裁いて正しく捉えられられると見るため、70%の勝利はした」と話した。

 それと共に彼は今回の判決を契機に使用者ばかりに有利な整理解雇法の撤廃につなげなければならないと声を高めた。

 「事業主が明白な理由もなしに不当解雇を日常的に行っていることが最高裁でも確認されたことに意味がある。 韓進重、コルト・コルテック事態でも確認されたように、経営陣が整理解雇法を悪用して緊急な解雇事案がなくとも不当解雇は日常的に行ってきた。再び私たちの社会の平凡な隣人と労働者の痛みが生じないよう整理解雇法自体を全面廃棄し、私たちの社会がまんべんなく分けられて仕事が出来る社会になって欲しい。」

 ソン詩人は2008年イ・イングン コルテック労組支会長が15万4千ボルトの高圧電流が流れる高さ40余メートルの送電塔で命を賭けた高空籠城などを行ったことを契機に志を同じくする文化芸術家らと共に支援活動を繰り広げてきた。

 「この間、文化連帯の文化芸術家が6度の海外遠征闘争を通じて全世界のミュージシャンと楽器商にギター製造労働者の事情を知らせてきました。 また、毎月最終水曜日には弘大(ホンデ)前のクラブ‘パン’でコンサートとロックフェスティバルなど多様な活動して、最近はコルテック労働者がギター演奏を習ってコルバンというバンドを作り自分たちの痛みを歌っています。」

 今回の交錯した判決の舞台裏には会社側の不当な整理解雇に対抗して極限の最低生活をしながらも希望を捨てなかったコルト・コルテック解雇労働者46人の汗と涙が渦巻いている。 そして完全な喜びを享受するまで、もう少し時間が必要だということを見せている。

キム・ドヒョン先任記者 aip209@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/labor/520454.html 訳J.S