3年生になった生存生徒など800人
黄色いリボンつけ焼香所まで徒歩行進
遺影の前に菊が積み上げられる度に泣き声
安山焼香所訪れた李完九首相
遺族の反発で弔問できず
8760時間が流れた。しかし、変わったことは何もなかった。子を失った親の心のシコリとなった悲しみはさらに大きくなり、政府への絶望と怒りはおさまらなかった。事故当時のように大統領も、真相究明のための前向きな措置もなかった。 1年前の4月16日と何も変わっていなかった。
セウォル号惨事から1年。政府合同焼香所が設けられた京畿道安山(アンサン)市花郎遊園地には、天も怒っているかのように土砂降りとなり、時々雷も轟いた。午前8時50分頃、李完九(イ・ワング)首相が焼香所に現れた。予告なしの訪問に遺族20人は「セウォル号特別調査委員会を無力化する政府施行令を全面廃棄せよ」などとスローガンが書かれた横断幕を持って首相の前に立ちはだかった。
4・16家族協議会チョン・ミョンソン代表が「特別法施行令案の廃棄と船体引き揚げについて、原則的な話ではなく首相の所信を聞かせてほしい」と要求すると、李首相は「施行令と関連して(施行令案検討のための)次官会議を延期するなど、最善を尽くしている」と答えた。これに遺族たちは「『最善を尽くす』という言葉は、1年間ずっと聞いてきた。結果を持って来て」と怒声をあげた。また、遺族は焼香所の出入口の方に体を向き直して、李首相に背を向けた。李首相は、結局「今度また弔問に来る」と滞在時間20分で焼香所を後にするしかなかった。
これに先立ち、午前8時30分頃、新政治民主連合の文在寅(ムン・ジェイン)代表とオ・ユングン院内代表も焼香所を訪れた。彼らも政界に対する不信を吐露する遺族らによって10分間、弔問を拒否された。オ院内代表が「施行令が変更され、完全な船体引き揚げができるように努力する」と答えてからやっと弔問することができた。
記者会見を開いた安山市民対策委員会は、「何も解決できずに、1周年を迎えた今日、再び大統領はこの地を去り、家族の叫びだけが残った。惨事当日に国がいなかったように、惨事から1年が経った今も私たちには国がない」と絶望感を吐露した。
ほぼ同じ時間、焼香所から2キロほど離れた檀園高校の運動場には、3年生になったセウォル号生存生徒をはじめ、全校生徒800人が集まった。2列に並んで校門を出た生徒たちの胸には、黄色のリボンとバッジが付いていた。彼らは友人の手をぎゅっと握って焼香所まで「悲しみの行進」を続けた。数日前、雨のように降り散ってしまった桜並木の間を静かに歩きながら、生徒たちは泣いていた。
20分後ごたごたした焼香所に着いた生徒たちの目から、こらえていた涙が溢れ出した。遺影の前の祭壇に白い菊が積み上げられる度、焼香所ではすすり泣く声が高まっていった。
1年前と同じ姿で明るく笑っている遺影の写真の前で、言葉を失ったまま嗚咽した末、教師に支えられて焼香所を出る生徒もいた。焼香所の外に出てきた生徒たちは、冷たいコンクリートの床に倒れ込み、号泣のあまり排水症状になって、周囲をさらに悲しませた。
■ 「何も解決できなかった1年...今も私たちには国がない」
10時、1分間の追悼サイレン... 1年前の時間もそのように止まってほしい
14時頃、遺族ら与党代表に「何の資格があってここに来られたのか」
15時頃、「朴槿恵大統領」の名前のついたプラスチック製の椅子片付け
午前10時、安山市全域に追悼のサイレンが1分間鳴った。通りがかりの市民も、走っていた車もすべて止まって一斉に黙祷を捧げた。この日、安山市では、公共機関や学校はもちろん、一般企業の建物にも犠牲者を哀悼する弔旗が掲げられた。
午後2時の追悼式に朴槿恵(パク・クネ)大統領を招待した遺族らがひたすら答えを待っていた1時40分頃、セヌリ党の金武星(キム・ムソン)代表とユ・スンミン院内代表が焼香所にそっと入ってきた。菊を持った金代表一行が遺影5メートル前で弔問の順番を待っている時、遺族が押し寄せた。遺族は「特別法施行令を廃棄するまでは、弔問できない。子供たちに恥ずかしくないのか」と彼らの前に立ちはだかった。
慌てた金代表は「セウォル号特別法施行令は、明日から遺族と話し合って修正できるように努力する」と答えた。これにチョン遺族代表は、「1年前にも責任を持って真相を究明するとしたが、何か変わったのが。検討して議論するということだけでは何もならない」と反論した。
興奮した遺族の叫び声で雰囲気が険悪になると、金代表一行は党幹部たちに囲まれて追い出されるように慌てて焼香所を出た後、待機しているバンに乗り込んだ。一部の遺族と市民たちは、バンを取り囲んで「子供たちが死んでいくのを、この目で見た。何の資格があってここに来られたのか」と激しく抗議した。 約10分間、身動きできなかったバンは、警察が間に入ってからようやく抜け出すことができた。
大統領を待っていた遺族は、「もしかしたらと思ったがやっぱり」だとし、午後3時10分頃、背もたれに「朴槿恵大統領」という名前のついたプラスチック製の椅子を片づけた。 4・16家族協議会はこの日、準備した惨事1周年合同追悼式を無期限延期した。
この日、全羅南道珍島(チンド)彭木(ペンモク)港にいた犠牲者・行方不明者の家族も、彭木港を訪れた朴槿恵大統領との面会を拒否した。彭木港に留まっていた遺族は、朴大統領が彭木港焼香所を訪問するというニュースを聞いて、同日午前急いで焼香所を閉鎖しては珍島邑内と木浦(モクポ)などに向かった。焼香所のドアを閉めて、外部に「真相究明を源泉封鎖する大統領令を直ちに廃棄せよ」という横断幕をかけた。出入口の窓には「朴槿恵は退陣しろ」というスローガンも書いてあった。
朴大統領は、警察の「人間の壁」に囲まれて焼香所に入ろうとしたが、弔問に訪れた人々は「真実を引き揚げよ」と声を高めた。大統領の「一時の訪問」後、宿泊施設に戻ったある遺族は、「大統領の彭木港訪問は現実を糊塗して、国民を欺こうとする『演出』に過ぎない。表では抱き締めるふりをしながら、裏では被害者の心を傷つけている」とため息をついた。この日彭木港を訪れた市民と学生5000人は、黄色い風船1000個を飛ばし、風燈と折り紙の船を浮かべて犠牲者を追悼した。
韓国語原文入力:2015-04-16 21:38