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[社説]セウォル号惨事から1年、私たちは何をしてきたのか

登録:2015-04-16 11:04 修正:2015-04-16 12:15
セウォル号参事1周年前日の15日午前、檀園高犠牲者パク・イェスルさんの父パク・ジョンボムさん(49)がセウォル号事故海域を訪ね花束を握りしめたまま1年前と変わりない海を見て祈り続けている 珍島/キム・ポンギュ記者//ハンギョレ新聞社

 花が萎れていく。春の盛りの四月中旬、白い花は涙のように、赤い花は鮮血のように、透き通る花は子供たちの魂のように。命の花を咲かせていた17歳の檀園高生徒たちと先生、そして他の乗客を含む304人を、目の覚めるように明るいこの季節に亡者として記憶せねばならないことに胸が痛む。

 一年前の今日、セウォル号の船体が激しい息遣いで沈もうとしていた時、珍島前の海の孟骨(メンゴル)水道の真っ青な波は、この地にいる皆の涙だった。 最後の瞬間に網膜を引っ掻いていった船首の球狀突起は、できることなら忘れたい光景だった。

 しかし忘れるべきでないことがあまりに多すぎた。304人の名前、彼らが残していった家族の苦痛、その苦痛を生み出した因果関係の連鎖、そして私たち皆がそのすべての不条理や悲劇や慰労を共に担っていかなければならない、一つの国の隣人である事実。 だが、この1年は苦痛は苦痛のまま捨て置かれ、因果の鎖は解き放たれ、国家が何のために存在しどう作動しなければならないのか、こんな単純この上ない質問さえ迷宮に陥ってしまった絶望の時間だった。

セウォル号犠牲者家族が15日午後、ペンモク港で慰霊祭を終えた後、黄色い布で包まれたセウォル号の模型の後について歩いている 珍島/キム・ポンギュ記者//ハンギョレ新聞社

 だからセウォル号以後の1年は、セウォル号が沈没したあの恨めしい時間と変わりない。2014年4月16日午前8時48分に船体が傾き始めたように、大韓民国の国家アイデンティティとシステムも傾き始めた。8時52分にチェ・ドッカさんが初めて救難申告をしたように、不安な国家の座礁を警告する声があちこちから発せられた。9時44分に船長と船員が船を捨てて真っ先に脱出したように、国家共同体を支えるべき者たちは重い責任を操舵室に放置したまま、自らの安寧を追い求めるため奔走した。

 船体が海面下へ完全に沈んだその日午後1時は、今日のこの瞬間でもある。国家という共同体に対する信頼が沈没した1年であり、巨大な塊の真実も海面下に沈んだ1年だった。「大統領の7時間」などは踏み躙られた真実の極一部に過ぎない。

14日夜、珍島・ペンモク項の灯台にかけられたセウォル号犠牲者を追慕する黄色いリボンと304人の犠牲者と行方不明者を象徴する304の黄色い灯がまわりを照らしている 珍島/キム・ポンギュ記者//ハンギョレ新聞社

 花びらが踏みつけられている。散った花びらが風に飛ばされていく。思い出がいっぱい詰まった校庭から、黒いアスファルトの上から、そして母の胸の内から。こうして沈んで崩れ去ったのは国家アイデンティティとそのシステムだけではなかった。真実を覆い、責任逃れをして実利を守ろうとする執権勢力の策略で、セウォル号の悲劇は上塗りされた。遺族たちを色分けした上で「死体商売」だの「税金泥棒」と信じ難い暴言が注がれた。断食する遺族たちの前で「暴食座り込み」をする非人間的な光景まで現実のものとなった。

 孟子は、人にはすべからく「人の不幸を見過ごしに出来ない心(不忍人之心)」があるとした。井戸に落ちる子供を見たら誰もが驚き痛ましく思う心のことだ。ましてや夢を一杯に膨らませた修学旅行の途上で水葬された250人の若い命をまざまざと見守っておきながら、あれほどの妄言や妄動がされたことは、この社会を支える最小限の人倫まで沈んでしまったことの証だ。

 隣人の死を心の底から悲しむことさえさせうようとしなかった執権勢力は、さらには法という神聖な道具をおもちゃのように持ち出し、遺族たちの心を再び踏み躙った。真相究明機構への捜査・起訴権を求める遺族の要求を「司法体系を揺るがす」という論理のトリックで蹴散らかして特別法の制定を6カ月も引き伸ばすと、それから5カ月後には特別調査委員会の権限と規模を大幅に減らし、調査対象である公務員に調査を主導させる特別法施行令案を作り上げた。そして、誰も催促したこともない賠・補償金額の発表を全面に出し世間に印象づけた。

15日午前、ソウル広場前でセウォル号惨事1周年を追慕して作った造形物「万人の念願」が完成し姿を表わした。市民が顔の表情や人の形体などを描いたり、生命尊重、安全社会を念願する内容を書きこんだ シン・ソヨン記者//ハンギョレ新聞社

 この侮蔑の1年を生きた人と死者を苦しめたのは彼らだけでなかった。政府発表だけを書き写し「全員救助」の誤報で初報を飾ったメディアは、その使命である真実の発見には目を瞑ったまま、嫌悪と忘却を何度となく唆してきた。賠・補償金のことばかり際立たせ、遺族たちを冒涜した報道がこの1年の結末である。

 心身共に傷だらけになった遺族たちは、残された数少ない丈夫な身体の一部である髪の毛まで剃り落したまま、子供の一周忌を迎えた。特別調査委員会は365日が過ぎた今もスタートすらしていない。朴槿恵(パク・クネ)大統領は天さえも嘆くこの悲痛の日に、花びらが撒かれた道の上を踏みつけ中南米歴訪の途につく。

 それでも花はまた咲く。そこに愛する人が、待つ人が、忘れることができない人がいるから。惨事の根源は人の命より利潤を重視した貪欲の積弊であるから、国家を改造して安全社会を作るという確約こそ、子供たちの犠牲を無駄にしない唯一の道のはずだ。国の責任を負う者ならば、真実糾明は避けたくても避けられない、これだけは絶対に押し通すべきものだった。

 しかしこの1年、高揚(コヤン)総合バスターミナル、長城(チャンソン)療養病院、議政府(ウィジョンブ)マンションでの火災、板橋(パンギョ)地下鉄換気口フタの落下事故に続き、漁船オリョン号がロシアの海で沈没し、新安郡の可居島で海上警察ヘリが真っ逆さまに墜落するなど、惨事の連続だった。どこにも安全なところがなくなり、人より利潤と効率を追い求める非情な論理は、今まで通り政治、経済、社会、文化全般を雁字搦めにしている。

 真相究明の約束だけでなく、安全社会の確約も真剣になされたものではなかったためだ。結局、この二つは同じことを意味するものだった。真実と向き合う勇気と責任感がなければ、そこから教訓を得て実践によって解消させる筋力は生まれない。セウォル号の真実を最後まで暴かなければならない理由がそこにある。

セウォル号惨事1周年を追慕する盆唐地域の母親たちが15日午前、京畿道城南市のヤタプ駅広場でセウォル号引き揚げと真相究明を求めるフラッシュモブをしている 城南/イ・ジョンア記者//ハンギョレ新聞社

 今からでも遅くはない。真実を覆い隠し悲しみを凌辱する獣の言葉や振る舞いを一掃させ、浪費してしまった1年分も加え、1年前のあの瞬間に私たち皆の心を埋め尽くした約束を、そのまま行動に移さなければならない。そうすればセウォル号犠牲者が傾く船からみな脱出できる夢を見れるはずだ。子供たちは生きて親の明るい胸に抱かれるだろう。セウォル号で心を痛めたフランシスコ法王の信徒である彼らの復活が祝福されるだろう。そして、最低賃金で計算された一生の給料を突き付けられた子供たちは、この世のはるか下にある場所で貪欲の支配に対抗しながら働いて生きていくに違いない。そこはこの国が蘇る所でもある。

 成し遂げることもできない夢だと言うのはやめよう。私たちは新鮮な花のつぼみの美しさを感じることができ、水に溺れようとする子供を心配する心を大事にする高貴な存在、人間ではないか。

(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-04-16 07:13

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/686979.html 訳Y.B

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