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[寄稿]韓国人と在日朝鮮人のため生涯献身された人権弁護士を偲び

登録:2015-04-15 15:07 修正:2015-04-15 15:22
追悼:中平健吉弁護士逝く / 韓勝憲弁護士・前監査院長
1974年年5月、アムネスティ・インターナショナルアジア支部長時代、いわゆる「文人スパイ団事件」真相調査のため韓国を初めて訪問した中平健吉氏(中央)と韓勝憲弁護士(左)、キリスト教言論人高桓圭氏。ソウルの永楽教会前にて //ハンギョレ新聞社

 1974年のある春の日、英国ロンドンにあるアムネスティ・インターナショナルの依頼で日本から来たという中平健吉弁護士が私を訪ねてきた。ちょうど私は彼が調べようとしていた時局事件の弁護人であり、その上、互いに国際的なアムネスティ運動をしている立場なので相通じあう間柄になった。

 彼の関心事は国軍保安司令部が作り出した、いわゆる「文人スパイ団事件」だった。小説家二人(イ・ホチョル、チョン・ウルビョン)と評論家三人(イム・ホニョン、キム・ウジョン、チャン・ビョンヒ)が日本にある『漢陽』(ハニャン)という在日朝鮮人のハングル雑誌関係者たちと連携して反国家的行為をしたという、とんでもない内容だった。

 キリスト教長老でもあり、確固とした信仰と信念を持つ彼は10以上韓国を往来し、維新治下の韓国で起きた様々な時局事件とその裁判および拘束者の処遇などを把握し国際アムネスティ事務局に伝える等の活動を続けた。先に述べた文人事件の他にも、在日同胞の徐勝(ソ・スン)・徐俊植(ソ・ジュンシク)兄弟事件、朴炯奎(パク・ヒョンギュ)牧師の南山(ナムサン)復活節連合礼拝事件、咸錫憲( ハム・ソッコン)・尹潽善(ユン・ボソン)先生等の3・1民主救国宣言事件なども含まれていた。75年春、私自身が拘束された反共法筆禍事件の時には、日本で「韓勝憲弁護士を支援する会」の代表として各界要人400人余りの釈放嘆願署名を持ってソウルの裁判部に送ることもあった。

 彼は韓国にくる前から在日韓国人に対する差別撤廃など人権のために法廷の内外で献身してきた人物だった。70年、日本の大企業である日立製作所が朴鐘碩(パク・チョンソク)という韓国人青年を無断解雇して問題になった。朴君が入社願書に韓国人という事実を隠して日本の名前を記載したというのが、その理由だった。

 これに対し中平弁護士は日立を相手どった解雇無効訴訟弁護団の代表として立ち上がって、4年に及ぶ法廷闘争の末ついに勝訴を勝ち取った。その時に裁判所に提出した在日韓国人が日本に定住するに至った過程および差別の実態に関する膨大な事実調査書は驚くべき力作として評価を受けた。敗訴した日立側も一審判決を認め、朴君を直ちに復職させてそれなりに称賛された。彼はまた、大村収容所で国外追放直前にあった韓国人青年シン・ギョンファン君を裁判所の決定で追放の危機を免れさせた。信仰人として日本の侵略支配に対する贖罪意識も明らかにしていた。

 98年秋、金大中大統領の日本への国賓訪問の時、迎賓館での行事では金大統領の受難記録という新聞スクラップ2箱を直接献呈した。

 2012年年6月、私が日本を訪ねた時はご病気にもかかわらず講演会場まで来られて嬉しそうに手を握ってくれた。しかし残念なことに、先月亡くなられたという訃報を今遅ればせながら聞くこととなった。保守が大手を振るう日本、その中で最も保守的な法曹界にこのように信仰心と正義感で私たち韓国人の人権のために献身して下さった中平弁護士の霊前に敬意を表し、感謝申し上げ謹んで冥福を祈る。

韓勝憲(ハン・スンホン)弁護士・前監査院長(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-04-13 21:13

https://www.hani.co.kr/arti/society/rights/686652.html

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