ベトナム戦争当時、韓国軍駐留地域で発生した民間人虐殺事件被害者2人が韓国に来る。 社団法人・平和博物館(理事長イ・ヘドン)は28日、「光復(解放)70年、ベトナム戦終戦40年を迎え、4月7日から開催するイ・ジェガプ写真展「一つの戦争、二つの記憶」に合わせて戦争被害者ウンウイェン・トルロン氏(64)とウンウイェン・ティタン氏(55)、そしてホーチミン市戦争証跡博物館長フイヌン・オクポン氏(53)を招請した」と明らかにした。 3人は4月4日に仁川(インチョン)空港を経て入国し、初日に京畿道・広州(クァンジュ)にあるナヌムの家慰安婦歴史館の訪問を始め、一週間にわたり国会をはじめソウル、釜山、大邱で開かれる招請懇談会に参加する。 ベトナム戦当時、韓国軍駐留地域の民間人虐殺事件生存者が韓国に来るのは初めて、1965年10月に韓国軍がベトナム戦に戦闘兵力を最初に派兵して以後50年ぶりであり、1975年4月30日のサイゴン陥落でベトナム戦が終了し南ベトナムが崩壊してから40年ぶりだ。
ウンウイェン・トルロン氏は1966年2月15日、住民65人が犠牲になった猛虎部隊駐屯地近隣のビンディン省タイビン市アンビン村で、ウンウイェン・ティタンさんは1968年2月12日住民74人が犠牲になった青龍部隊駐屯地近隣のクアンナム省フォンニィ・フォンニャット村から来た。 事件当日、猛虎部隊員の民家捜索過程で母親と妹を失い、下半身に手榴弾の破片を受け生涯にわたる苦痛を受けたウンウイェン・トルロン氏は2003年に韓国人医療団体であるベトナム平和医療連帯の支援を受け破片除去手術を受けた。 ウンウイェン・ティタンさんは村に入ってきた青龍部隊員によって母親、姉、弟、叔母、年下のいとこなど家族五人を失い、兄は身体障害者になり、本人も腹部に銃弾を受け内臓が外に出る重傷を負い1年間の入院治療を受けた。 その日の記憶と後遺症に苦しみながらこれまで生きてきたという二人は、前もって準備した声明書で「残忍な虐殺と苦痛の悲鳴で記憶される“虐殺の声”は今も頭の中に残っている」として「私たちの訪問により韓国社会でベトナム戦争に対する深い議論がなされることを期待する」と明らかにした。
2人と共に韓国を訪れるフイヌン・オクポン ホーチミン市戦争証跡博物館長は4月6日午後に国会を礼訪して国会政論館で「ベトナム終戦40周年、韓越親善」を主題に演説を行う予定だ。
招請行事を企画した平和博物館のソク・ミファ事務局長は「ベトナム戦での韓国軍による被害者の初の韓国訪問は、終戦40周年をむかえて市民社会次元で両国間に辛い歴史を改めて振り返ってみようという趣旨で、1992年慰安婦出身おばあさんの初の東京訪問に肩を並べること」と話した。
ベトナム戦期間である1965~1973年に延べ32万人を派兵した韓国軍は、ベトナム戦当時に北ベトナム軍と南ベトナム民族解放戦線ゲリラなど敵軍5万人余りを射殺(味方の死亡は5000人)したという戦果だけを公式に明らかにしてきたが、1999年9月に時事週刊誌ハンギョレ21がベトナム戦韓国軍作戦地域である中部5省の被害者インタビューを初めて報道した以後、9000人以上の民間人を虐殺したという疑いと論議に包まれてきた。