"その時はベトナムに行けば死ぬものと思った。 戦争が起きたというから。 帰国したところ、人々がみな不思議そうに見つめた。 生きて帰って来るとは思わなかったと。"
先月23日、銅雀洞(トンジャクトン)の国立ソウル顕忠院(ヒョンチュンウォン)を訪ねたイム・ナムギュ(72)氏が50年前を思い出しながら語った。 彼は京畿道(キョンギド)東豆川(トンドゥチョン)の第3移動外科病院で行政兵として働いていたが、1964年9月11日南ベトナム(ベトナム共和国)に派兵された。 130人規模の第1移動外科病院とテコンドー教官団10人で構成された最初のベトナム戦韓国軍派兵団は非戦闘要員だった。 彼らが留まったところも戦場とは距離が遠い南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)近郊のプンタウだった。 1965年3月に2次派兵された‘鳩部隊’の任務も南部ジアンでの建設支援だった。
ベトナム派兵部隊の安寧は長くは続かなかった。1965年10月の3次派兵(青龍・猛虎部隊)と1966年の4次派兵(白馬部隊)には戦闘部隊が含まれた。 1973年3月の撤収まで8年6ヶ月間に32万4864人がベトナムに行った。 全員帰国は失敗した。 1965年69人の死亡者を始まりに、1973年までに5099人がベトナムで亡くなった。 その内、4650人がソウル、顕忠院(ヒョンチュンウォン)に埋葬されている。 昨年11月25日に亡くなったチェ・ミョンシン初代ベトナム駐留韓国軍司令官も将軍墓地を拒み、兵士たちのそばに埋葬された。
"ドンス、来たぞ。" イム氏とともにソウル顕忠院(ヒョンチュンウォン)を訪ねたパク・ハンチャン(72)氏が、一緒に派兵されて亡くなったキム・ドンス氏の墓碑の前に立った。 ‘1965年5月16日越南(ベトナム)で戦死’墓碑の裏面に書かれた短い文からは、彼がなぜベトナムに行き、行って何をしたのかは分からない。 ここにある4650人も同じだ。 なぜベトナムに行ったのか、行って何を得て何を失ったのか、50年前にしておかなければならなかった質問を今投じる。
キム・ミンギョン記者 salmat@hani.co.kr