彼らは難民審査さえ受けられず苦しい闘争を続けている
2013年11月18日、M氏はアフリカの故国を発った。 二日間の飛行の後に韓国に足を踏み入れた。 だが、入国審査を通過することはできなかった。 ビザの目的と入国の目的が合わないという理由だった。M氏のビザは短期商用(C-2)ビザだった。
仁川(インチョン)空港出入国管理事務所長は、M氏の到着当日、彼を乗せて来た中国南方航空に「M氏を大韓民国の外に送還しなさい」と指示した。 翌日午前10時55分の飛行機と便名まで指定した。 出入国管理法は航空会社が入国不許可になった者を自身の費用で送還するよう規定している。 だが翌日午前、M氏は飛行機に乗らなかった。 代わりに韓国難民史上初の事例として記録される闘争を始めた。
■ 「難民審査だけでも受けさせてほしい」
「難民審査付託の可否を検討中なので決定時まで送還でなく待機させなさい」。20日、中国南方航空に伝えられたM氏の送還指示書にはこう記されていた。入国に失敗した彼は、ひとまず入国した後に難民申請をしようとしていた計画を変更し、難民申請書を空港出入国管理所に提出した。
難民法は大韓民国内にいる外国人は誰にでも難民申請できるよう規定している。申請さえすれば難民と認められる時まで大韓民国に合法的に留まることができる。M氏のように“大韓民国内”に入れなくとも入国して難民申請ができる。その場合、法務部は7日以内に正式に難民審査付託の可否を決め通知しなければならない。 彼に一週間が与えられたという意味だ。 審査が始まった。
「韓国行きを準備した経緯を説明してほしい」
「政府から軍への入隊を強要された日に現場から逃げた。 (しばらくして)服務機関から次の日に入営しろとの指示を受けた。 明日行くと話した後、郊外に行き韓国行きを準備した」
「なぜ話を変えるのか?」
「話を変えていない」(面談した公務員はM氏が「アラビア語と英語を少しできる」と答えると、「アラビア語通訳を通した面談に同意するか」と尋ねた。M氏は同意した。 だが、通訳人の国籍は韓国、面談に使われた言語は英語だった。 話を変えたのではなく、その意味が正確に伝えられなかったと見られると判事は判断した。)
「ビザ発行のためにブローカーにいつ会ったか?」
「2013年9月初め、入営を避けて郊外に行き、2週間後に金を借りた。 10日ほど後にブローカーに手付金を払い、1週間後に残金を払ってパスポートを返してもらった」
「それならブローカーに査証の発行を頼んだのは9月末なのか?」
「お金を払うために会ったのは9月末だった」
「あなたのパスポートにある大韓民国査証は、2013年9月5日申請、9月8日に発行されたものだ」
「(話を変えて)服務機関が訪問する前の8月末にブローカーにパスポートを渡した」
「なぜ難民認定申請をしたか?」
「本国で起きている戦争と強制徴集のためだ。 帰国すれば拘束される」
「韓国に来る前から難民申請をする目的だったか?」
「そうだ」
「なぜ軍への入隊を拒否するのか」
「戦争が同じ兄弟や姉妹を殺すために利用されるからだ。 私が死ぬかもしれないだけでなく、他の人々を殺すことになりうるためだ」
(判決文に引用された面談資料を根拠に再構成)