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520キロを三歩一拝…今も癒やされないセウォル号の痛み

登録:2015-02-24 20:50 修正:2015-02-25 06:39
犠牲者遺族イ・ホジン氏父娘
 再びペンモク港~光化門の苦行の道
 「遺族の心情を察して欲しい」
セウォル号犠牲者である檀園高生イ・スンヨン君の父親イ・ホジン氏(後)と姉のイ・アルムさんが24日、全羅南道珍島のペンモク港から4キロ離れた珍島郡臨淮面白洞里をセウォル号の模型を引きながら三歩一拝で進んでいる。 珍島/アン・クァノク記者//ハンギョレ新聞社

 24日午後2時30分、全羅南道珍島郡臨淮面白洞里。 セウォル号事故で亡くなった京畿道安山(アンサン)檀園高2年8組イ・スンヨン君の父親イ・ホジン氏(57)と姉のイ・アルムさん(26)が、三歩歩いては手をついて拝みながらゆっくりと前へ進んだ。三歩一拝は普通に歩くこととは全く違う。 手や足、腰を全て動かさなければならない動作のために、ゆっくりでも額からは汗が噴き出してくる。 それでも胸の中の痛みはいかんともし難かった。

 イ・ホジン氏は汗を拭いながら「全身で国民に30万回お辞儀をしようと考えている。ひれ伏して頭を下げてお願いするので、忘れられつつあるセウォル号と犠牲者を思い起こして欲しい」と話した。

 父と娘は23日に珍島ペンモク港の埠頭からソウル光化門(クァンファムン)広場までの520キロを三歩一拝で踏破する苦行の度に出た。約100日間、一日3000拝、セウォル号犠牲者と国民に礼を捧げる。当初セウォル号惨事1周忌(4月16日)に合わせて光化門に入ろうと思ったが、急がずに6月に到着することを目標にした。 1人は前で模型のセウォル号を積んだ黄色いリヤカーを引き、1人はその後について三歩歩いて一度お辞儀する三歩一拜をしながら一日5キロを進むことにした。 だが、予想よりはるかに困難で、涙を流しながら必死に進んでも初日には3.6キロ、二日目には4.2キロしか進めなかった。

 父と娘は昨年7~8月にも安山檀園高を出発してペンモク港を経て、フランチスコ法王がミサを執典した大田(テジョン)まで全長130センチ、重量6キログラムの十字架を携え、800キロを徒歩で行進した。だが、半年後に再び路上に出なければならなかった。

 「セウォル号惨事1年が迫っているが、国家には相変らず罪の意識がない。セウォル号船体引き揚げと失踪者9人の遺体収容のために何かしなければならないと考えて、三歩一拝を決心した。過酷な時間を過ごしている遺族の心情を国民に少しでも認めて欲しい」イ・ホジン氏は8月の徒歩行進を終えた後、フランチスコ法王から直接洗礼を受けた。弱者の友になれという意味で、フランチスコというクリスチャンネームも得た。

 三歩一拝団には神父、牧師、詩人、市民など約10人が参加している。珍島の住民たちも食事や宿舎を用意するなど見守っている。この日の昼食時にはコーヒーを用意してきたキム・ヨンレ氏(64・珍島郡古群面龍湖里)は「よほどでなければこんなことはできない。心が痛む。あまりにも胸が痛くて、湯の一杯でも接待しようと駆け付けた。三歩一拝はできなくても、一緒に歩くなど励まして応援して欲しい」と話した。

珍島/文・写真 アン・クァノク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/679527.html 韓国語原文入力:2015/02/24 20:01
訳J.S(1478字)

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