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韓国教育現場で極右高校生はなぜ生まれるのか

登録:2015-02-22 23:59 修正:2015-03-01 08:35
韓国の『法と政治』教科書(左)が抽象的な概念説明でぎっしり埋まっていることとは異なり、ドイツ(中)とフランス(右)の教科書は現実と触れ合う資料で構成されている。//ハンギョレ新聞社

 権威主義は政治的無関心を栄養にして育つという。政治的無関心は一日で韓国社会に根をおろしたわけではない。 韓国では『正しい生活』 『道徳』 『倫理』のように国民としての徳性と義務を強調した教育に慣れ親しんできた。 その反面、市民としてどんな権利をどのように行使できるのかに対する教育は相対的に不足してきた。 政治に関心を持たない市民を全面的に非難しにくい理由だ。 週刊ハンギョレ21は韓国の学校、特に高校で生徒たちが政治を理解するのに十分な教育がなされているかを調べた。 編集者

韓国では『法と政治』を大学修学能力試験で
選択する比率は5.2%に過ぎない
ドイツやフランスでは必修課目…
抽象的な韓国の教科書に較べ
外国では直接的な活動と論争が中心

 「政治に関心を持つ近頃の子供たちは大きく分けて二種類います。(両親の影響で)進歩(革新)的な考えを持つ子供たちがいる一方で、“日刊ベスト貯蔵所”のような極右サイトで目にした極端な言語を使う子供たちもいます。 考えの異なる子供たちが授業時間に皆と一緒に討論できないためにその状態が続くのです」(前職高校教師)

 政治は軋轢を公論の場で解きほぐす過程だ。 軋轢があるたびに暴力的に争ってはいられないので、社会制度を通じて差を縮める。 しかし、韓国の政治は軋轢を制度的に解きほぐす通路というよりは戦場に近いという批判を受ける。 政治に失望した市民は自ら他人に向かって嫌悪発言を吐いたり、私製爆弾を投げるなど極端な方法で意見を表出する。 週刊ハンギョレ21が会ったある前職教師は、子供たちも例外ではないと言う。

作ってみよう「一週間に授業は一日だけ党」

 現在、韓国の高校で政治教育は『社会』 『生活と倫理』科目の一部単元と『法と政治』科目だけで扱われている。 1987年の民主化運動以後、高校教育課程に『政治』科目が独立的に作られたが、2009教育課程で『政治』科目と『法と社会』科目が『法と政治』科目に統合された。 生徒の学習負担を減らすために選択科目を縮小し、政治関連内容の比重も減ったわけだ。 すべての生徒が選択科目である『法と政治』科目を習うわけでもない。 2015学年度大学入学修学能力試験を受けた生徒の中で『法と政治』科目を選択した生徒は約5.2%(約59万人中の3万1056人)であった。 ある教師は『理系の生徒の場合、1学年での『社会』科目を最後に生涯政治や法について習う機会はない」と話した。

 それでは『法と政治』科目を選択した生徒たちは政治の効用を実感することができるだろうか。 そうではない。 高校教育が入試中心にぎっちり組まれているためだ。 ソウルのある高校の『法と政治』教師のチャン氏(50)は「私も“人生の全てを決めるのが政治だ”と強調している。 しかし、子供たちにとって当面重要なことは修学能力試験の点数なので進度を進めるのに忙しい」と話す。 彼は「教育が子供たちを政治から遠ざけているのではないかと思ったりもする」と付け加えた。

 他の国家では早くから政治教育の重要性を認識した。 第2次世界大戦以後、全体主義に対する批判意識が高まったドイツでは、1952年に連邦政治教育院を作り国民の政治教育を担当することにした。 また、初・中等の全教育課程に『政治教育』科目を作った。 フランスは1998年に『市民教育』を中学校の必修課目に指定した。 英国も2002年から『市民教育』が中等学校の必修課目だ。

 差異は教科書の内容にくっきりあらわれる。週刊ハンギョレ21の取材結果、韓国の『法と政治』教科書の相当部分は抽象的な概念説明で満たされていた。 政党の役割と機能を記述しても韓国の政党の種類と歴史、各政党の理念と議席数などについては説明しない。 一方、フランスやドイツの教科書は新聞記事と写真などの資料でいっぱいだ。 フランスの中学4年用『市民教育』教科書は、政治参加と政党に関する内容を扱った単元で、フランスの各政党の歴史と理念、綱領、議席現況を詳しく紹介している。 労働を扱う単元でもフランスも主な労組の名前と歴史、加入者数、指向を紹介する。 ドイツの中学校で使われる『現実政治2』教科書の選挙単元では「一週間に授業は一日だけ党」「動物保護者党」など仮想の政党を作ってみる内容だ。全党大会を開き綱領を定め、候補者を公認して他の政党との選挙を行う活動を授業時間に経験できる。選挙制度などの概念説明は各単元が終る時に簡単に扱って済ます。

「統合に役立つか、社会的軋轢に伴う費用を減らせるか」

 京畿道儀旺(ウィワン)の慕洛高校教師キム・ウォンテ氏(57)は「フランスやドイツの教科書は韓国のように誰かが“社会はこういうものだ”と決めてくれない。 生徒たちが現実を目で確認し、自ら概念を構成するようにさせる」と話した。 4年前まで高等学校で政治を教えてきたパク氏(38)も「生徒たちに『利益集団というものがある』とだけ話すのと、自動車整備士になりたいという子供に『君が加入して活動できる利益集団には何があるか、一度調べてみなさい』というのとは違う」と話した。

 政治を正しく理解する上で適切でない叙述も韓国の教科書からは随所で発見された。 特に選挙制度や政党体制の長短所を記述して「(国家的)統合に役立つか」と「(社会的軋轢に伴う費用を含めて)費用を減らせるか」の二点を主要基準としていることが目についた。民主主義は必然的に軋轢を伴い、これを制度的に解消する過程で一定の時間と費用が必要なことを見逃している点が問題だ。 無条件統合を強調した権威主義時代の影が教科書に未だ残っているわけだ。

 “公益”の意味を説明せずに「政党は政治権力の獲得という目標を公開的に掲げ、公益を図ることによって国民の支持を得る」と書き、特定階層の利益を代弁しようとする政党を否定的に認識させるようにした部分もあった。 利益集団に関しても「各集団の特殊利益を達成しようとする利益集団の活動が行き過ぎれば、公益と衝突することがありうる」と書いた(天才教育『法と政治』教科書76ページ)。 パク・サンフン フマニタス代表は「民主主義で“多数”とは単一な多数ではなく“少数の総合”だ。政党と利益集団が追求する部分利益を“集団利己主義”に追い立てて、“国家全体の利益”(公益)だけを言い始めれば多様な階層的差異を国家政策に反映できなくなる」と指摘した。

 巨大な二大政党が権力を独占している現在の韓国の政党体制を擁護する叙述もあった。 二大政党制国家では「事実上二つの主要政党が政局を主導しているので政局が比較的安定的に運営」されると説明した一方で、多党制国家では「どの党も優位を占めることができなければ、群小政党が乱立して政局が不安定になる恐れがあり、政治的責任所在が不明になりえるという短所がある」と説明した(『法と政治』60ページ)。チェ・テウク翰林大教授は「多党制国家の中で政局不安の問題を体験した国家は殆どない。むしろ政権が交替するたびに国家の政策基調が急激に変わることが二大政党制の短所だ」と指摘した。 このような教科書を通じて政治を習った生徒たちが既存の二大政党中心の政党体制に問題意識を持つことは難しいという話だ。

 政治を通じて社会的軋轢を調整できるということを、生活の中でも学校教育でも経験したことのない市民は、政治に関心を失ってしまったり極端な方法で意見を表出する。 昨年12月10日、いわゆる“従北”人物に厳しく対応するとしてトークコンサート場に乱入し私製爆弾を投げた高校生が代表的な例だ。

ドイツ“論争的学問は授業も論争的に”

 政党組織を強化するためには絶対に必要な政党の公認権行使を否定的に見た記述もあった。 教科書は比例代表制に対して「韓国のように比例代表候補を有権者が決めるのではなく政党が決めることにすれば、国民の意思がきちんと反映されえないだけでなく、候補者の選定過程で不正腐敗が発生する可能性もある」と説明した(『法と政治』67ページ)。 これに対してチェ・テウク教授は「比例代表制の目的は代議民主主義の核心主体である政党に(選択を)任せることだ。 各政党の理念と政策を最もよく実現する候補者を各政党が自ら選ぶこともこれに該当する」と話した。

 政治学界が重要な研究主題として扱う経済政策、経済発展、国家と企業の関係、労働、地域統合などの主題について教科書が全く言及していないという問題もある。 ドイツが1976年にボイテルスバッハ合意を通じて「学問と政治の領域で論争的なものは、授業でも論争的に提示しなければならない」と明示したことと対照的だ。 チェ・ジンウォン慶煕大フマニタスカレッジ教授は「戦後ドイツでは“全体主義は許さない”という政界の超党派的合意があった。 ところが、韓国では権威主義に対する反感が社会的軋轢を回避しようという雰囲気につながった。 教育にもこの差が反映された」と説明した。

 韓国にも変化への動きはある。 京畿道教育庁は一部現職教師たちと共に『共に生きる民主市民』というタイトルの“認定教科書”を開発・発行した。 この教科書は良心的兵役拒否、原子力発電、労働市場柔軟化など論争的懸案に対する賛否の立場を示す資料で構成されている。 京畿道の一部の学校は、別途時間を編成したり社会、道徳、生活と倫理、韓国史、法と政治などの授業中にこの教科書を活用している。

 民主市民教育が現在より体系的になされるようにするための法案と条例の必要性は1990年代後半から台頭した。 だが、関連法案が国会に発議されても政界の無関心の中で毎度自動廃棄されてきた。 イ・オンジュ新政治民主連合議員は1月23日、民主市民教育支援法案を発議した。 生徒だけでなく全ての年齢帯の国民が民主市民としての役割を十分に果たせるよう民主市民教育独立機構を作ることが法案の主たる内容だ。 ソウル市は昨年「民主市民教育に関する条例」を公布し、京畿道も条例公布のための議論を進めている。

政治教育は“人間性+市民性”

 依然として課題は残っている。政治教育で“人間性教育”を重視する保守陣営と“市民性教育”を強調する進歩陣営の間の意見の差異は簡単には狭まらずにいる。 チェ・ジンウォン教授は両者の均衡を強調する。 彼は「セウォル号事件を見ても、原因を社会構造に求める事もでき、(船長らの)人間性に求めることもできる。結局、政治教育は(人間性教育と市民性教育を)一緒に扱わなければならない」と話した。

チョン・インソン インターン記者 insun9782@naver.com

https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/679029.html 韓国語原文入力:2015/02/19 11:31
訳J.S(4662字)

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