28日に公開された「大統領府民政首席室監察報告書」で”秘線”の実力者という疑いを受けているチョン・ユンフェ氏と定例的に会ったという「十常侍」は、2012年の大統領選挙当時に朴槿恵(パク・クネ)候補の選対で核心実務を務めた人々だ。 報告書によれば、彼らはチョン氏と月に二度程度、ソウル江南(カンナム)の食堂や日本食店などで会い、大統領府の内部と現政権の動向を論議し、チョン氏が非常に具体的な指示を与えたこともあるとされる。
本来、十常侍は中国の後漢末、霊帝の時に絶対的な権力を振るった宦官(内侍)10人を指す言葉だ。2012年大統領選挙を控えた朴槿恵選挙キャンプで、政務・日程・人物招聘など全分野で過度に影響力を行使したキャンプ実務陣を指す言葉として広く知られている。
十常侍の核心はいわゆる“4人衆”と呼ばれるイ・ジェマン総務秘書官、チョン・ホソン第1部属秘書官、アン・ポングン第2部属秘書官、故イ・チュンサン補佐官が名指しされる。 彼ら4人は、1998年に朴大統領が大邱(テグ)達城(タルソン)地方区の補欠選挙で当選した後、4~5級補佐官・秘書官などとして採用され、その後一貫して朴大統領を至近距離で補佐した。 チョン・ユンフェ氏は、朴槿恵議員室の正式補佐陣ではない無給立法補助員として活動したが、政界では4人衆を朴大統領に推薦した人がチョン氏だという話が出回っている。
この間、“4人衆”を巡って「議員より強大な実力者」という話が絶えなかった。 実際、大統領選挙当時「報告の大部分が4人衆を経て朴候補に上がる」と訴える議員とキャンプ要人が少なくなかった。 2012年9月当時、朴槿恵候補が李明博(イ・ミョンバク)当時大統領と単独会合した後に、その内容を教えたのもチェ・ギョンファン候補秘書室長やスポークスマンではなく、これら4人衆だった。 そのため、セヌリ党では「宦官権力が異常に強い」として、補佐陣退陣論が噴出したこともある。
大統領選挙の直前、イ・チュンサン補佐官は交通事故で亡くなり、残りの3人は大統領職引継ぎ委員会を経て、大統領府秘書官に任命され「門番権力3人衆」というレッテルも付いて回った。 「キチュン大院君」と呼ばれるキム・ギチュン大統領府秘書室長さえ、当初は朴大統領に直接報告ができずに3人衆を経るという話が出回るほどだった。
この日公開された文書では、これら3人衆と共に、大統領府政務首席室・広報首席室などに勤める行政官3人と前職行政官2人、大統領選挙キャンプ実務陣2人を十常侍のメンバーに選んだ。 大統領選挙当時と同一人物ではなく、「権力を握った秘書官・行政官級」を象徴的に意味する表現と見える。 大統領選挙の時に十常侍として議論された親朴槿恵系議員補佐官10人余りは、ほとんど大統領府行政官に席を移したし、一部は補佐官であったり政界を去った人もいる。
十常侍に名指しされた人々は、この日の文書と関連して「チョン・ユンフェ氏には会ったこともなく、チョン氏と会ったという江南の中華料理店には行ってみたこともない」とか「十常侍などはそもそも存在しない。市中に出回る“チラシ”をつぎはぎしたに過ぎない」と否認した。