中国の北京で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)が11日、2日間の各種日程をすべて終えた。朴槿恵(パク・クネ)大統領はAPECを機に中国との自由貿易協定(FTA)交渉を終わらせる一方で、米国、中国、日本など主要国首脳に会った。
APEC首脳会議には米国、中国、ロシア、日本など太平洋周辺の主要な強大国の首脳がすべて参加することもあり、今回の会議も例年通り世界が注目するニュースの種が無数にあふれでた。そんな多くのニュースの隙間に残った3つの“些細な”疑問を整理してみる。
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1)20分は会談で70分が遭遇
朴槿恵大統領は10日夕の晩餐会場で安倍晋三首相と隣の席になり「様々な懸案」について話し合った。晩餐は70分間続いた。
政府は両首脳の出会いを“会談”と呼ぶことを敬遠する。大統領府関係者は「事前議題に対する調整なしに会った“遭遇”程度と考えればいい」と話した。「遭遇」は文字通り偶然の出会いを意味し、韓国の外交関係者の間では事前調整なしに会う場合を指して使う表現だ。似た表現で日本のマスコミが使う「立ち話し」はもう少し意味が明らかだ。座る席を事前に準備することもできないほど予定もなく会った、言い換えれば、APECやG20、国連総会などの多国間の会談場を行き来しているうち偶然出会い、二、三の話を交わしたという意味だ。
ただし朴大統領と安倍首相の出会いは事前に決まっており、韓日双方がそれを知っていた。アルファベット順で日本(Japan)に続き韓国(Korea)を配置した主催側の決定が両国に事前に通知されていたためだ。このため両国の外交当局は、そこでなにを話すべきか悩んだはずだ。外交部では「長時間隣の席に座ることになるので関連懸案などを事前に整理して(大統領府に)報告したものと理解する」という話も出てくる。
外交部局長出身のチョン・セヨン東西大学特任教授は「韓日首脳が食事の席で会ったのは偶然ではないが、両国が意図したのでもない。事前に数十回の実務連絡を通じて議題と日程を調整し『OK』がでた時に初めてなされる首脳会談とはまったく違う」と話した。
政府が「安倍首相との70分の出会い」を遭遇と表現する一方で、翌11日午後のバラク・オバマ大統領との20分の出会いを「正式会談」と強調するのは実に対照的だ。大統領府は大統領出国前から韓米首脳会談開催を広報したが、ミン・ギョンウク大統領府報道官は11日午前10時(現地時間) 「100%確信できない雰囲気」であると霧散の可能性を示唆した。2時間後には「今日会談をすることにしたが時間は決まっていない」と話した。結局2時30分頃になり、「韓米首脳会談が開かれた。時間は20分くらいだった」と開催事実を確認した。場所はホテル片隅の会議室だった。日程の決定にかなりの困難があったものと考えられる。
外交の結果は直ちに現れないこともあり、韓日首脳の出会いと韓米首脳の出会いのどちらが得失になるかはもう少し見守らなければならない。ただし、安倍首相に対し「過去の歴史に関連して誠意ある措置」を要求し首脳会談開催に錠をかけた韓国が、日本の首脳との出会いを設けたという事実、またFTA妥結で韓中が接近したことで米国の不満が憂慮される状況で韓米首脳が会ったという事実は、“外交的孤立”を憂慮する国内批判を意識した措置と考えられる。
2)なぜ習近平は安倍晋三に硬い表情をしたのか
過去の歴史と領土問題で安倍首相に深い不信を抱き、2年余り中日首脳会談に応じなかった習近平中国国家主席が10日ついに安倍首相に会った。APEC開催を前日に控え中国の報道機関と国民から最も多い関心を集めたニュースは韓中FTA妥結でなく、中日首脳会談の知らせだった。両首脳の出会いも予告されていたことだった。中国はAPEC主催国として会議に参加する各国首脳を迎えなければならない一種の“義務”があったためだ。
韓日間にも前例があった。2005年11月に釜山(プサン)で開かれたAPEC首脳会議の時も韓日間の外交環境は良くなかった。同年2月、日本の島根県議会が「竹島の日」を制定し韓国側は猛反発した。当時の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は「三・一節」記念演説で「過去の真実を糾明し心から謝罪して反省して、賠償するものがあれば賠償した後に和解しなければならない」と直撃弾を飛ばしていたし、盧政権当時のの潘基文(パン・ギムン)外交通商部長官は「独島は韓日関係より上位概念」と言った。
しかし、日本の中学校歴史教科書には「韓国が独島を不法占拠している」という表現が登場したし、小泉首相は10月に靖国神社を参拝し、就任以来5年連続の参拝記録を立てた。こうした“強硬対強硬”の局面にあってもAPEC会議の主催国である韓国の盧武鉉大統領は“客”の小泉首相を迎えて韓日首脳会談をせざるを得なかった。
同様に日本との首脳会談が避けられない状況にあった中国としては、「2年以上も首脳会談に応じなかった態度をなぜ変えることになったのか」という問いに答える必要があった。名分がカギとなるのだ。そんな脈絡からAPEC開幕が数日先に迫った7日に中日両国が合意した「関係改善4大原則」が目を引く。
両国政府はこの日、「中日関係改善に向けた対話について」と題した共同文書を通じ、△戦略的互恵関係を発展させ△歴史を直視して未来に向かうという精神により、両国関係に影響を与える政治的困難を克服し△尖閣諸島などに異見があることを認め、対話を通じて問題を解決し△様々な両国間チャネルを通じて相互信頼関係を構築するという四つの合意事項を公開した。
安倍首相を迎えた習主席の硬い表情も“名分”という観点から説明が可能になる。習主席としては、日本が過去の問題と領土問題で納得するほどの前向きな措置を出さなかった状況で、なぜ首脳会談をするのかという中国国内の世論を意識するほかなかったからだ習主席は他の首脳に会う時は軽い微笑を浮かべたり、明るく笑ったりもしたが、唯一安倍首相に会う時だけ硬い表情で一貫した。11日に安倍首相と再び会った時はカメラに向かって笑おうとしたが、いかにも強情そうに見える表情に変え、取材陣の間から笑いが漏れる場面もあったという。一枚の写真が色々な意味を持つことになるという点を考慮すれば、習主席の“苦しい心のうち”も理解できる。
安倍首相には“屈辱的”という評価が出てきそうだ。今年3月のオランダのハーグで開かれた韓米日首脳会談の時、韓国語の挨拶を受けないなど無視するような態度をとった朴槿恵大統領が想起される。
しかし、必ずしも屈辱的であったとばかり言えない。2002年9月に当時の小泉首相が北朝鮮を訪問して拉致被害者問題の交渉を初めて行った時、金正日国防委員長を相手に硬い表情で終始一貫したことがある。小泉首相も習主席や朴大統領と同様に悩んだ結果だったが、「あそこまでしなくてはならないのか」と言われたのも事実だ。今回も習主席に対して「会うことにしたのだから、ああまでしなくても」と中国に対する批判的な日本国内での評価が広がれば、安倍首相にとっては損にはならない。無論、その逆に日本国内で“低姿勢”外交に対する批判が起きることもある。
3)APEC参加国を一群の雁にたとえた習近平の意図
習主席は11日のAPEC首脳会議の祝辞で中国の昔話を引用し、「一輪の花で春と呼ぶことはできず、一羽の雁が群れをなすこともない」(一花不是春 孤雁難成行)と話した。前の一節は、7月の訪韓前に習主席が韓国のマスコミへの寄稿文で引用した「一輪の花が咲いて春とは呼べない。あらゆる花が咲いてこそ春がくる」(一花独放不是春 百花斉放春満園)という詩からと思えるが、雁に対する比喩は使った記録がない。
また、習主席はこの日の祝辞で、「風が白波を千輪の花のように起こし、雁は青空に一つの線を描く」(風翻白浪花千片 雁点青天字一行)という唐の詩人、白居易の詩も引用し、再び雁を登場させた。さらに習主席は「21のAPEC加盟国は21羽の雁と同じだ」と話した。
この日の習主席の比喩は会議場が北京郊外の雁栖湖(イェンチーフ)国際会議センターだったことに関連がある。雁栖湖という名には「雁が棲息(栖)する湖」という意味がある。習主席は「雁栖湖という名前は毎年春と秋に雁の群れが飛んでくるのでつけられた」と語り、「私たちが今日この雁栖湖に集まったのは、協力を強化して共に翼を広げ共に発展し、アジア・太平洋地域発展のための新しいビジョンを作り出すためのもの」と強調した。
北京観光局ホームページ(visitbeijing.or.kr)は雁栖湖を「風景鑑賞、休暇、レジャーを同時に楽しむことができる総合観光地」と紹介している。
韓国語原文入力:2014.11.13 16:02