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[ルポ] 在韓米軍第2師団残留に地元住民が反対の決起集会

登録:2014-11-06 09:16 修正:2014-11-06 17:07
キャンプ・ケーシー正門前に市民約2千人
「次は大統領府に上京闘争」

「政府は米第2師団を予定通り平沢(ピョンテク)にすべて移転せよ!」

 5日午後3時、京畿道東豆川(トンドゥチョン)市の中心地、保山(ポサン)洞にある米第2師団キャンプ・ケイシー正門前の広場は、米国基地移転を求めるたすきをかけたり手立て札を持った市民約2000人でぎっしり埋まった。2016年までに京畿道平沢に移転する予定だった在韓米軍第2師団210火力旅団の東豆川残留決定に抗議するために開かれた「米第2師団残留反対汎市民決起大会」に参加した人たちだ。

 美しい紅葉で知られる逍遥山の裾に広がる、高さ4~5メートルのコンクリート塀と鉄条網で囲まれたものものしい米軍基地の近くにある東豆川駅付近には、在韓米軍兵士を相手に営業する英文看板がついた商店数百が軒を連ねていた。1970~80年代にはクラブだけでも100店を越えるほど東豆川市の経済を左右した保山洞や中央洞の商圏には、現在約250店が街に残って命脈をつないでいるが、空き家の商店が次第に増えていると市関係者は説明した。

 保山洞で18年間クラブを経営しているチョン氏(55)は「他にすることもないので店を続けているけど、多くの商店街がほとんど廃業状態にある。残留するならする、しないなら約束通り出て行くべきで、2千人くらいだけ中途半端に残って大切な土地を牛耳ってしまったら、東豆川の人たちはどうやって生きていけというのか」とデモに参加した理由を明らかにした。

 東豆川に根付いて8代目になるというイ・ミョンギ氏(74)は「国家安保のために米軍部隊の残留が必要なら東豆川にも龍山(ヨンサン)や平沢(ピョンテク)ぐらいの支援対策をとるべきだ。60年間も国家安保のために犠牲になってきた東豆川住民にこれ以上の犠牲を強いてはいけない」と話した。保山洞で生まれたイ氏は小学校2年生の時に朝鮮戦争が起き、村が米軍基地に編入されて安値で家と土地を手放してから事実上の失郷民として生きてきた。

 市民は集会を終えた後、米第2師団正門から中央路~松内(ソンネ)洞の市民公園まで2キロほど街頭行進を行った。東豆川市庁庁舎には“ひったくり米軍残留! 東豆川は怒っている!”と書かれた大型の横断幕が掲げられたし、通りのあちこちに市民団体が掲げた横断幕約300枚で覆われた。米軍再配置汎市民対策委員会はこの日の決起大会をはじめとして大統領府や国防部正門前での上京闘争も行う方針だ。

 一方、リュ・ジェスン国防部政策室長は4日、東豆川市を訪ねて米軍基地残留に関連する問題解決のために国務総理室主導の部署間協議体を構成する方案を推進すると明らかにした。これに対してオ・セチャン東豆川市長は「街の中心にある米軍基地キャンプ・ケイシーは必ず返還されなければならず、以前から準備してきた市発展計画上絶対に必要だ。要求が受け入れられなければ米軍駐留反対住民投票を実施して米軍基地正門と(基地正門につながる)連結道路を塞ぐつもりだ」と語った。

 東豆川市には1951年以後、市面積の42%に相当する米軍基地(40.63平米) 6か所が駐留して、米軍供与地となって京畿道にある31の市郡のうち財政自立度が最も低いなど深刻な被害が続いた。東豆川市は米軍基地が移転すればキャンプ・ケイシー(14.15平米)の跡地に企業、大学、住居施設、平和公園などを誘致する計画だった。

東豆川/パク・ギョンマン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2014.11.05 22:36

https://www.hani.co.kr/arti/society/area/663200.html 訳Y.B

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