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悲運の‘朝鮮王の兜’日本で初公開

登録:2013-10-01 22:02 修正:2013-10-02 06:40
日帝時代‘小倉コレクション’ 10点余
東京国立博物館で一時展示
ヘムン僧侶 "韓国に戻すべき"
日本、東京国立博物館が1日公開した朝鮮時代遺物の中で朝鮮時代の王のものと推定される兜(写真右端)と鎧の前にへムン僧侶(左側)たちが立っている。 東京/キル・ユンヒョン特派員

 1日、日本の東京国立博物館東洋館5階10室。 韓半島関連遺物が主に展示されているこの部屋に、これまで外部に公開されなかった新しい展示品10点余りが登場した。 その中で、断然観覧客の注目を集めたのは朝鮮時代の王のものと推定される‘朝鮮大元帥兜’(写真)だ。 この遺物の公開のために東奔西走してきた文化財を本来の場所に取り戻す会の代表へムン僧侶は 「白玉でできた額の覆い、兜に彫られた足の爪が五本の龍模様、兜の端の鳳凰模様の玉飾りなどから見て、この兜は朝鮮時代王の物に間違いない」と話した。 この日公開された精巧な兜とその対と見られる鎧、高宗(コジョン)が使った翼善冠など10点余りの遺物は全て日帝強制占領期に大邱(テグ)地域で電力会社を経営していた小倉武之助(1896~1964)が集めた遺物である‘小倉コレクション’の一部だ。

 小倉コレクションにこの兜が含まれているという事実は最近まで韓国では良く知られていなかった。 東京国立博物館が1982年1110点に及ぶ小倉コレクションの寄贈を受けて、一回図録を作った後には目録を公開しなかったためだ。 そうするうちに2010年、日本に居住するイ・ソリョン高麗博物館理事が神田の古本屋でこの図録を発見し、兜の存在が知られることになった。 図録に含まれた兜の名前は‘朱ビロード地金銀装甲胄’であり、正確な正体が分からなかったが、2012年4月博物館側が朝鮮王室の伝来品であることを認めた。 以後、へムン僧侶側の要求を東京国立博物館が受け入れて、1日から12月23日までこの兜など関連遺物を一時公開することになった。

 この日公開された遺物の中で、もう一つ目につくのは小倉が1964年に作成した目録で "閔妃(明成(ミョンソン)王后)が死んだところから持ってきた" と記述した茶果床だ。 この日、席を共にしたイ・ソリョン館長は「王妃が死んだところから物を持ってきたとはひどい話」と話した。

 へムン僧侶は「この日公開された王室遺物は朝鮮王朝が滅びた後に当然に李王職(強制合併以後に朝鮮王朝の事務を受け持った日本宮内庁所属の官庁)に引き渡され、韓国の国立古宮博物館に所蔵されていなければならない」として「東京国立博物館がこの遺物の寄贈を受けた時に、これが正常に取得されたものかを確認するべきだったのにそのような義務を果たさなかった」と話した。 不法的に取得したことが明らかなこれら遺物は、ユネスコの関連協約に従い韓国に戻さなければならないという指摘だ。 この日同行したアン・ミンソク民主党議員も「遺物の公開を決めた東京国立博物館に感謝する。 韓-日両国が力を合わせてこの遺物の取得経緯を至急確認しなければならない」と話した。

 しかし、後続作業は容易ではない。 昨年10月、韓国の窃盗犯が対馬の観音寺から盗んできた仏像問題が両国関係を遮っているためだ。 日本では韓国が日本との文化交流をさらに広げるには、贓物であるこの仏像を先に日本に返さなければならないと主張している。

東京/文・写真キル・ユンヒョン特派員 charisma@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/605438.html 韓国語原文入力:2013/10/01 21:25
訳J.S(1540字)

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