主に研究所業務…41個の特許獲得
壮健だった夫が2週間風邪を引いたような症状
悪性リンパ腫の治療もまともに受けられぬままに死亡
勤労福祉公団、関連性がないとし労災承認を拒否
会社・同僚からも協力を得られず連絡を避ける始末
「因果関係不充分」 1審で敗訴判決
証拠探しも遺族の役割…それでも控訴審に期待
「2008年11月、突然夫の具合が悪くなりました。 2週間ほど風邪を引いたような症状でした。 そして病院に行ったところ、悪性リンパ腫と言われました。 坑癌治療を一度受けて意識不明状態のまま三日後に亡くなりました。」
妻のチャン・ヨングン(46)さんの声はかすれていた。 夫の故チョン・チョルモ氏はハイニックスで勤務していたが、2008年11月27日に非ホジキンリンパ腫で亡くなった。 享年42歳。 上の娘が小学校2年、下の娘が4才の時だった。 家族に関連する病歴はなかった。 非ホジキンリンパ腫は白血病と共に代表的な‘半導体労災疾患’に挙げられる。
「お父さんは仕事に対する情熱が半端じゃありませんでした。 眠っていても会社から電話と言えば、むくっと起きて飛び出して行きました。 働きながら博士課程まで終えて、論文審査だけが残っている状態だったのに、あんな風に逝ってしまうとは…。」高麗大化学科を卒業し、同じ大学で修士課程を終えたチョン・チョルモ氏は、1996年5月にハイニックスの前身である現代電子メモリー研究所に4級研究員として入社した。 以来13年間、京畿道(キョンギド)利川(イチョン)の工場でエンジニアとして勤務し、生産ラインで半導体工程に関する実験をしたり、研究所で技術開発・研究などの業務を遂行した。 仕事を通じて41個の特許も得た。
身長174㎝、体重91㎏の壮健だった夫の突然の死に、妻のチャン・ヨングンさんは勤労福祉公団に労災申請を出した。 だが、申請は受け入れられなかった。 勤労福祉公団の依頼を受けて疫学調査を実施した産業安全保健研究院は「チョン・チョルモ氏が担当した特許の開発過程では、非ホジキンリンパ腫を誘発するベンゼンと電離放射線は検出されなかった」として「現場でウェハー(半導体の材料になる薄い原版)を直接扱うオペレーターと比較すれば(発ガン物質に対する)露出頻度および強度が高いとは見難い」と判断した。
「それでは、勤労福祉公団が言うとおり露出頻度が夫より高いというオペレーターに対しては公団は労災申請を承認したんですか?」チャンさんは納得できなかった。「会社が裁判所に提出した資料にもあるように、夫は入社初期の6年余り、生産ラインで勤める比率が少なくて50%、多い時期には70%に達したのに、どうして露出頻度が低いと言えるのですか。」また、チョン氏が出願した41個の特許内容を見れば、感光剤・シンナー・ヒ素などを扱ったと出ていて、感光剤・シンナーにはベンゼン成分が含まれる場合が多いという点で産業安全保健研究院の調査結果も信じられないと主張している。 遺族たちは勤労福祉公団を相手に2012年に行政訴訟を提起した。
訴訟は順調ではなかった。 会社は夫の業務関連記録さえ渡そうとせず、かつての職場の同僚は皆チャンさんからの連絡を避けた。 夫が一番可愛がっていた後輩は「申し訳ない。 私も食べていかなければならないので」として電話を切った。 労組からも何の助けも受けられなかった。 結局、昨年12月9日ソウル行政裁判所行政2部(裁判長ユン・インソン)は、悪性リンパ腫発生と業務との因果関係を立証する証拠が不充分だとし原告敗訴の判決を下し、遺族たちは控訴した。
控訴審で遺族と弁護人はチョン氏が生産設備を‘セットアップ’(設置)するために、清州(チョンジュ)工場に6ヶ月間派遣されていたことに注目している。 半導体工場でセットアップ作業に長く従事したあるエンジニアは「最適な工程レシピを開発するために、有害化学物質と重金属の比率を変えながら多くのテストを行う」として「頻繁に夜勤や徹夜作業をするが、その際に平常時より多くの有害要因に露出する」と話した。
遺族たちの訴訟代理人であるパク・ヨンマン弁護士は「2008年に産業安全保健研究院が実施した‘半導体製造工程勤労者健康影響疫学調査’によれば、2005年にハイニックスでチョン・チョルモ氏と同じエンジニアで非ホジキンリンパ腫に罹った人がいたし、チョン氏と同じく研究所でエンジニアとして勤めた人が1999年に白血病で死亡したと出ている。 業務関連性がないわけはない」と話した。
労災申請と訴訟を体験してチャンさんは「13年間、仕事のことしか頭になかった夫に対して、会社は関係ないと言う姿を見て、会社というのはこういうところなのか、本当に恐ろしいと思った」と話した。 知人たちの助けを得て、二人の娘とかろうじて暮らしている彼女は控訴審判決に残った希望をかけている。
オ・スンフン記者 vino@hani.co.kr