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セウォル号失踪者10人の家族…「100年のような100日」

登録:2014-07-24 01:32 修正:2014-07-24 08:00
[‘セウォル号惨事’ 100日/ペンモク港の現場から]
毎朝食事を用意するジヒョンの母「娘がお腹が空いて出て来られないのかと…」
急性肺炎に罹ったヒョンチョルの父「倒れるにしても子供を取り戻してから…」
檀園高の教師である夫を待つ妻、点滴で無理にもたせて腕は痣だらけ
呼んでも答えがない名前 沈没事故100日を2日後に控えた22日夜、全羅南道(チョンルラナムド)珍島郡(チンドグン)臨淮面(イミミョン)のペンモク港に未だ帰ってこられない失踪者10人の名前が書かれた黄色い旗が風にはためいている。 セウォル号惨事100日を迎える24日午後7時、ソウル地域合同焼香所が用意されたソウル広場では追慕文化祭が開かれる。 珍島/キム・ポンギュ先任記者 bong9@hani.co.kr

 父母たちは先に子供が見つかって体育館を後にした人々のいた場所にマットを移して、また移した。その場所が縁起が‘良い’という話を聞くからだ。 母親がバージ船に乗れば子供が見つかるという言葉にも心が動いた。 リンゲルを打った身で父親の代わりに波打つバージ船に乗ってみた。 それでも優しかった子供は帰ってこなかった。 几帳面だった夫も、母も帰ってこなかった。

 24日、セウォル号沈没事故からちょうど100日をむかえた。 珍島ペンモク港には海に向かって‘もうやめて家に帰ろう’となだめる声が溢れている。 残った失踪者10人、その家族たちのとても悲しい話だ。

 安山檀園高2年3組ファン・ジヒョン(17)さんの母親シン・ミョンソプ(49)さんは、毎朝決まって7時30分にジヒョンに朝ごはんを上げるためにペンモク港に行く。 すでに10日を過ぎた。 「海苔と目玉焼きを用意しました。 娘が出てこないから、できることは何でもするんです。 お腹が空いて出て来られないのかと思うので」母親が作った朝ごはんを食べて力を付けた娘が冷たい海水と砂をかき分けて早く出てくることを願う気持ちからだ。 ジヒョンは結婚して7年後に産んだ一人っ子だ。 ジヒョンはシン氏夫婦に17年の幸福を与えて世を去った。

 ホ・フンファン(50)氏にとって娘のダユン(17)さんは「一言一言が感動だった娘」だった。 「性格が内省的でした。 済州島(チェジュド)修学旅行にも行こうとしませんでした。 行かないと頑張る子供に、行って友達とももっとつきあって、ストレスも発散して来るように言いました。それで仕方なく行ったのに…」口さえ開けば感動だった娘はまだ冷たい海の中にいる。

 去る22日、檀園高の教師ヤン・スンジン(57)氏の妻、ユ・ペクヒョン(53)さんはスプーン二口ほどで朝食を終えた。 「食べられないんです」 100日間、安山の自宅には一度も行けなかった。 珍島体育館で夫が帰ってくることだけを待ち続けている。 ユさんは夫の似顔絵が入った額縁をいつも枕元に置いて寝る。 珍島の住民で画家のキム・ヨンジュ氏が描いた絵だ。 「夫がよく船酔いするのに、それでも船で済州島(チェジュド)に行くのは初めてだと言って子供のように喜んでいました。 出発の前日、着替えと洗面道具も全部詰めてあげたのに。 授業が終わって仁川(インチョン)へ船に乗りに行くからと午後4時30分に電話が来たのが最後になるとは思いませんでした。」待っている家族は身も心も深く傷ついた。 ユさんは少し歩いただけで心臓がドキドキし、目がくらむ。 他人事だとばかり思っていたうつ病にもかかったと話した。 天気が暑くなって疲れきったユさんは点滴を10余回打った。 「打ち過ぎて、もう血管を見つけられないんですって。 前腕全体が痣だらけです。」

 弟のクォン・ジェグン(52)氏と甥のクォン・ヒョッキュ(6)君の帰りを待つクォン・オボク(59)氏も不眠症を訴える。 「夜中の1時になっても眠れません。 そして明け方の5時には目が覚めます。 全身が重く力が入らず、とても疲れます。」それでもベトナムから来た弟の嫁の葬儀は最近行った。 まだ見つからない弟と甥のヒョッキュも心配だが、セウォル号に乗った家族4人の中で一人だけ救助された姪のチヨン(5)が一番心配だ。

 檀園高生ナム・ヒョンチョル(18)君の父親ナム・ギョンウォン(45)氏は、急性肺炎で8日間病院の世話になった。 体育館に戻ったが通院治療を受けなければならない。 ホ・フンファンさんは「ここには健康な人は一人もいない」と話した。 表面的には健康に見えても、中は皆病気に罹っているという。 「私が倒れたら子供を連れて行けないから皆無理して耐えているんです。 出てくるまでは頑張らないとね。 倒れるにしても子供が見つかってから倒れなければなりません。」失踪者の家族たちが主に訪ねる木浦(モクポ)韓国病院のリュ・ジェグァン院長は「陽気も暑くなって長期間のストレスに疲れた家族が、最近になって病院を頻繁に訪れるようになり治療を受けている」と話した。

 沈没から94日目の去る18日、セウォル号の調理員イ・某(56)氏の遺体が発見された。 調理室で仕事をしていて負傷したが、脱出する乗務員らがそのまま放置してきたという彼だ。 檀園高の教師コ・チャンソク(40)氏の義兄は「遺体が見つかった家族を見ると‘うらやましい。 どれほどうらやましいか’と自然に思ってしまう。 遺体が見つかることがそんなに良いことか、それを羨むこの現実、本当に狂ってる。 鞭で打たれる人を見てそれを羨んでいる」と言ってため息をついた。 彼は「脳出血で倒れた母親がまだ息子に起きたことを知らずにいる。 ‘子供からなぜ連絡が来ないのか’と言って会いたがっているのに、ショックを受けるといけないのでまだ話していない」と語った。 そして「人々の関心が薄れれば捜索作業も縮小されるのではないかと心配になる。息子を見つける機会がなくなることが恐ろしい」と話した。

 体育館に残った家族は、お互いに助け合いながらも‘自分が最後の一人になるのではないか’、それを一番恐れていると話した。 クォン・オボク氏は「ここにいることも辛いが、失踪者の遺体が出て来た時はもっと辛い。 残った失踪者が2人に減って、結局自分が最後まで残ることになるのではという不安だ」と話した。 「100日という数字は、恋愛した時、子供が生まれた後、のように良いことから100日目を数えるものだと思っていた」という失踪者の家族たちは、そんな風に100日を耐えて待った。

 ‘100日だ、もうやめて家に帰ろう’、家族たちは今日も心の底でこの言葉を繰り返している。

珍島/キム・キュナム、イ・ジェウク記者 3strings@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/648262.html 韓国語原文入力:2014/07/23 22:20
訳J.S(2879字)

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