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ムン・チャングク 今度は‘反日発言’…窮地に追い込まれ‘ドタバタ’

登録:2014-06-17 22:33 修正:2014-06-17 23:37
ムン・チャングク国務総理候補者が17日午前、ソウル鍾路区(チョンノグ)昌成洞(チャンソンドン)の政府ソウル庁舎別館に出勤してエレベーターに乗っている。 /連合ニュース

「日本が韓国の隣人になれるのか」…ジェットコースター弁明
「保守的‘所信派’でない‘風見鶏’人士」指摘

 ムン・チャングク国務総理候補者が自身の過去の発言と文に対して弁明する過程で、右往左往している。 特に日本に対しては、自身がこの間に文と講演を通じて主張したこととは正反対の発言まで出した。 彼が保守的‘所信派’というよりは、状況によっていくらでも簡単に言葉を変える‘風見鶏’ではないかという指摘も出ている。

■ジェットコースターに乗ったような弁明

 「日帝と分断は神の意志」という教会講演内容が最初に論議になった11日以後、ムン候補者の反応を要約すれば、‘誤解だ’(11日夜)→‘遺憾だ’(12日午後)→‘法的に対応する’(12日夜)→‘申し訳ない’(15日午後)→‘野党に訊け’(16日午前)等だ。 対処する姿勢がジェットコースターにでも乗ったかのように強硬対応したり頭を下げたりと揺れ動いた。

 具体的に見れば、<韓国放送>(KBS)が民族性卑下発言と歪んだ歴史認識発言などを報道した11日夜、ムン候補者は「(自身の講演の)趣旨が正確に伝えられなかった」と弁明した。 翌朝の出勤途上に‘謝罪する計画がないか’という質問に「謝罪とは何だ、謝ることがあるのか」と言うなど堂々とした態度であった。 しかし、数時間後のその日午後には基調が変わって「教会でした発言であり、誤解の素地があった」と‘遺憾’を表明した。 ‘謝罪’ではなかったが一歩後退したのだ。 しかし、ムン候補者はその日の夜になると再び「悪意的で歪曲された報道だ。 関連内容を報道したすべての言論に対して名誉毀損など法的に対応する」と強硬対応の意思を明らかにした。 遺憾を表明してから半日も過ぎずに立場が正反対に変わった。

 そうするうちに週末を経た15日には再び‘謝罪の雰囲気’に切り換えた。 ムン候補者は「(当時の講演で)真意を正確に伝えられなかった、表現の未熟さがあった」として「非常に申し訳なく考える」と話して、慰安婦被害者に対する謝罪をするなど頭を下げた。 しかし、翌日の16日朝の出勤途中には‘野党から辞退の要求が多い’という記者たちの質問に「野党に行って訊け」として神経質な反応を示した。 ムン候補者はまだ‘法的対応’方針に関する立場の変化などの言及はしていない。

 ムン候補者がこのように激しく言葉と態度が変わるのは、批判的な世論に対抗してその時その時の状況によって対応するためだと見られる。 また、大統領府と対応方案を議論する過程で影響を受けたとも見える。 真の謝罪とは距離が遠いわけだ。

■日本に対する評価も極端から極端へ

 ムン候補者は慰安婦発言に関する弁明もころころ変えた。 ‘慰安婦問題について日本から謝罪を受ける必要はない’とした以前の発言に対して、ムン候補者は13日「真正性ある謝罪がより一層重要だという趣旨の個人的意見」だったと釈明した。 ‘真の謝罪’を受けるために‘謝罪を受ける必要はない’と言ったという主張だ。 総理室内部でも「説明がうまくない」という反応が出るほどに急造された説明と見える。

 15日には説明を再び変える。「金銭的賠償に偏った当時の交渉について指摘したこと」と主張した。 だが、彼は2005年3月のコラムで「すでに終わった賠償問題はこれ以上挙論しないことが堂々とした外交」だとして、賠償に対する問題提起自体を否定的に見ていた。

 ところが17日になると、日本に対して「私たちの隣人になりうるのか」という極端な反日発言まで言ってのけた。 ムン候補者の過去の慰安婦関連発言が、慰安婦動員の強制性を認めた‘河野談話’の趣旨を傷つけようとする日本側の動きを助けているという質問に対する答だった。 当初、日帝による植民支配を‘神の意志’と言って、日本のために韓国が経済成長を成し遂げられたという話で親日論議を呼び起こし、総理候補者として失格条件だと指摘されたが、今回は逆に極端な‘反日’発言に急反転したわけだ。

チェ・ヒョンジュン記者 haojune@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/642860.html 韓国語原文入力:2014/06/17 20:30
訳J.S(1916字)

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