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[ハンギョレ21]「根絶やし作業、ち密で反復的に」…MBCは今

登録:2014-05-25 13:44 修正:2014-05-26 06:30
MBC記者が‘ハンギョレ21’に送ってきた文

現在までの懲戒者数だけで160人余り…一人二人と追い出され
‘セウォル号報道惨事’批判するや再び吹き始めた懲戒の嵐
逆説的に悲観の中で希望を準備する時期と弁明してみる

編集者 注

キル・ファンヨン社長の退陣を要求するKBS構成員たちは、失敗すればKBSの未来がMBCと同じになり得ると憂慮している。 数年前まではそうではなかった。 自由に噴出する批判と相互牽制はMBC構成員の自負心だった。 総合編成チャンネル誕生の道を開いた李明博政府のメディア法改悪に対抗して、2009年言論人が行った全面ストライキの主力もMBC労働組合だった。 そのMBCが今病んでいる。 KBSを含む報道機関がニュースを通じてセウォル号報道を反省している時も、MBC報道本部高位層からは犠牲者家族を非難する発言が流れ出た。 キム・ジェチョル前社長以後、社内の批判の声が懲戒と報復人事で去勢されてしまったMBCで、一人の記者が苦しさと覚悟を込めた文を<ハンギョレ21>に送ってきた。

「製作拒否しないのか? KBSもしているのにあんた方はストライキしないの? なぜじっとしているの?」 K部長がへへっと笑う。 彼は今MBC首脳部の一員だ。 無視して背を向けると、彼が再び尋ねた。 「こんな様なのに2012年の170日間ストライキは何故したのか? その時あんた方のスローガンどおりならば、今だって‘全員辞めろ’と叫んで外に飛び出さなければならないんじゃないの? なぜ今は静かにしてるのか?」皮肉は続いた。 「公正放送を叫ぶ立派な記者様が、なぜ? 何が恐いのか? アー、団体行動すればみな地方に追い出されて経歴社員を採用して詰め込むと思ってるの? それが分かればネズミが死んだように温和しくしていなくちゃね。」

果てしない ‘根絶やし作業’

K部長の話は皮肉というよりは‘脅迫’に近かった。 ストライキ期間に代替人材として採用された‘試用記者’(キム・ジェチョル社長がストライキ参加者の空席を満たすために‘1年勤務後に正規職任用’条件を付けて採用した)と、ストライキ直後に採用した‘経歴記者’の大多数が、‘MBCの現在の安保’を守る大きな軸であるためだ。 誠実に取材して良い放送をにした記者たちは、一人二人と追い出されて行った。 代わりに相対的に地位が不安で、上の人の話をよく聞く、新規採用人材が大統領府、国会、検察など敏感な取材部署に大挙配置された。 ‘チェ・ドンウク前検察総長関連疑惑と大統領府裏調査論議’ ‘国家情報院スパイ証拠ねつ造事件’ ‘国家情報院コメント捜査’等に対するMBCのあらゆる不公正報道がこのような条件の下で誕生した。

‘怒りと悲しみを越えて’ニュースを進行したMBCパク・サンフ全国部長。 MBC報道局30期以下の記者121人は、声明を出してこのリポートを‘報道惨事’と評価した。 画面キャプチャー

 それでも未だ足りなくて、経営陣は最近‘ヘッドハンター’まで別途雇用して、すぐにでもデスクを任せられる‘中堅経歴記者’ 10人余の採用を進めている。 面接での質問が‘あなたは保守か進歩か’ ‘故郷はどこか’ ‘誰が次期大統領になるべきと考えるか’等だったという。 多くの先輩たちが「既存記者たちを根絶やしにして自分たちの好みに合うように報道局のDNAを完全に入れ替える作業の一環」と解釈している。

 ‘根絶やし作業’はち密で反復的に進行されてきた。 解雇と停職に、待機発令と不当異動まで。 現在までの懲戒者数だけで160人余りだ。 特に‘主導者に分類された’人々は‘殴られた奴だけ選んで再び殴る’という方式で‘追跡懲戒’を受けなければならなかった。 ストライキ復帰後、人事評価点数を最下等級にして、それを名目に再び停職懲戒を下すやり方だった。

 ‘監視と摘発’も相次いだ。 去る3月、修習記者3人が修習解除とともに労働組合(第1労組である全国言論労働組合MBC本部)に加入すると、報道局の幹部が当事者に直接電話をかけて「お前たちが自ら労組加入を決めた筈がない。 誰がさせたのか。 背後勢力がいるのではないか」と追及した。

 ニュース報道に対して内部批判が提起されるたびに、報道局編集会議では‘政派性を帯びた一部勢力が分裂をたくらんで扇動している’という話が登場した。 社内掲示板に幹部批判文を載せたという理由で、事実関係が確認できないので記事の作成を拒否したのに‘部長の指示に抗命した’という理由で、また挨拶をしないという理由で、教科書論議記事を思いのままにインターネット ニュースに上げたという理由で、その他色々な理由で記者たちはニュース取材・編集部署ではない地方部署に追い出された。

 その渦中に‘セウォル号惨事’が発生した。 MBCはセウォル号惨事直後の一か月間、災難対応システムの欠陥と海洋警察の初動対処問題など、政府批判報道を大幅に縮小した。 MBC労働組合によれば、4月16日から5月18日までの地上波3社の報道を分析した結果、KBSとSBSは政府批判ニュースをそれぞれ68件と66件放送した反面、MBCは僅か3分の1水準の23件だけを報道した。 大統領府外圧論議に包まれたキム・シゴンKBS前報道局長が「色々なルートで海洋警察批判記事を自制してほしいという外圧を受けたが、そのようなKBSが、MBCよりははるかに多くの批判報道をした」という自評までした。

‘報道惨事’批判に重懲戒で答える会社側

 MBCのしたことは政府批判報道の縮小だけに留まらなかった。 去る5月7日にはライン部長が直接立ち上がって「一部失踪者家族の性急さが潜水士の死を招いたとし、外国に比べて未成熟な対応をしている」と遺族たちを侮辱し非難する報道を行った。 いわゆる‘制度圏言論’報道として類例の無い‘遺族侮辱・非難’であったし、本質的には‘報道惨事’であった。

 じっとしてはいられなかった。 ‘私たちはそれに加担していません’と言うには、あまりに凄惨で恥ずかしい事件だった。 次長級以下の記者121人が対国民謝罪声明を出し、記者たちが社内掲示板に実名での批判を続けた。 労組委員長が断髪し、労組執行部とともに連日ピケッティングに立ち使用側の公開謝罪を要求した。

 全員が懲戒を覚悟していたし、実際に経営陣は懲戒手続きを準備し始めた。 幹部は一部の記者たちを呼んで、声明書の作成経緯を‘追及’した。 そして声明と社内批判文に参加した経歴14~15年の記者2人が‘京仁(キョンイン)支社’という地方組織に発令された。 問題の‘遺族侮辱・非難記事’を入社同期たちとカカオトークのチャット部屋で共有した記者は「記事を対外流出させた」という‘罪目’で懲戒委に回付された。

 会社側の攻撃はここで終わらなかった。 ある芸能PDがMBCの今の状況を説明して「MBC構成員が本当にかろうじて踏ん張っている」という趣旨の文をあるインターネット掲示板に上げると、経営陣は「MBCニュースを見ることは止めようという不買運動を行った」という‘疑い’を着せて彼を重懲戒する方針を立てた。

文化放送労組員と市民団体会員たちが2月24日、ソウル汝矣島(ヨイド)の文化放送本社前でアン・グァンハン新任社長任命を糾弾する記者会見を行っている。 パク・ジョンシク記者 anaki@hani.co.kr

 会社側は構成員をますます隈に追い立てている。 MBCは再び岐路に立った。 だが、ストライキに突入した3年前とは状況が余りにも違っている。 団体行動に入る瞬間(私たちは会社もそれを待ち望んでいると判断している)、経営陣が待っていたかのように代替人材を大挙投じて、それに見合って既存人材を大挙追い出す手順を踏むことが目に見えるためだ。 そのことを知っている記者たちは迷わざるを得ない。 懲戒のためではない。 会社側が望む‘全取っ替え’を甘受してまで皆が立ち上がらなければならないのか、長期的な戦いを準備しなければならないのか、去るか残るかの問題であるためだ。

 そうだ。 このような認識と悩み自体が弁解であり自衛でもあろう。しかし、今非難されていることより重要なことがあると考える。 前出の芸能PDが書いた文に出てくる話だ。 「MBCを永遠に‘Mビョンシン(ビョンシンは韓国語で人をののしる時に使う言葉の一つ。KBSの"ケビョンシン”になぞらえて、MBCをMビョンシンと表現した)’として滅びさせて置き、代案言論を形成すればお終いだと考えることはできる。ところで代案言論を求める人々はどうせ地上波言論には左右されない。 その反面、地上波言論の影響を受ける人々の数は相変らず無視できない。 社会の主要な公共財であるMBCを、まだ放棄してはならない。」

団体行動、生半可には開始できないが…

これだけは明らかにしておきたい。 MBC構成員は静かに座って自然と良い日が来ることを待ってはいない。 そして、外には知らされていないが、個別構成員の見えない白兵戦が今も続いている。 どん底まで覗き見る徹底した悲観の中で、逆説的には希望が始まると言える。 そのような意味で、今は希望を準備する時期だともう一度弁解してみる。

https://www.hani.co.kr/arti/society/media/638824.html 韓国語原文入力:2014/05/25 12:09
訳J.S(3929字)

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